吉田修一『春、バーニーズで』は、デビュー作『最後の息子』の登場人物 筒井が主役の連作短編集です。 (リンクをクリックいただけると感想のページに移動します)
『最後の息子』の筒井は、新宿のオカマ閻魔ちゃんと同棲していました。閻魔ちゃんに愛想を尽かされぬように、金をくすねたり、足蹴にしたりで気を引く、なんとも物哀しさが漂う自堕落でモラトリアムな男でした。
10年後の筒井は、会社に務め、子連れの女性 瞳と結婚し、全うな人生を歩んでいるようです。多少のぎくしゃくはあるとして、連れ子の文樹とも、瞳の母とも上手くいっているし、幸福と呼べる日々を過ごしているのです。
本短編集の「春、バーニーズで」、「パパが電車をおりるころ」、「夫婦の悪戯」では、筒井の目から見た日常が活写されています。
10年前に比べると、あまりに平々凡々たる日々。
そんな中にも、違う人生が、染みのように影を落としていくようです。「春、バーニーズで」の再会した閻魔ちゃん、「パパが電車をおりるころ」のマックで隣り合わせた女性、「夫婦の悪戯」の図らずも告白してしまった男性との同棲生活。
ついに、「パーキングエリア」で筒井は、出勤途中、誰にも行方を告げずにふらりと遠出をしてしまいます。別な生き方があったことに、ふと思い至り、今のレールから外れてみたくなるのです。多くは語られていませんので、このあたりの感情的な動きは、「最後の息子」を先に読んでいた方が分かり易いでしょう。
最後の短編「楽園」では、”二つの時間を同時に過ごしている”ことを楽園として示唆しているようです。
なるほどね。もう一つの人生に楽園を思い描いちゃうっていうのは、特に中年に差し掛かる頃は良くあります(それを過ぎると妄想力は減衰しちゃうんですが)。
本短編集は、モノクロ写真のページが挿入されていて、フォトブックのような体裁です。筒井が見たり、感じたりする物を表しているのかは判然としませんが、筒井の揺れ動いている感情を、掴むことはできます。
それにしても、自分の中では、閻魔ちゃんは、いつもマツコなのだけど、どうでしょうか。
2006年放映 西島秀俊、寺島しのぶ、栗山千明 出演 WOWOW『春、バーニーズで』はこちら
- その他の吉田修一作品の感想は関連記事をご覧下さい。
関連記事
【本の感想】吉田修一『あの空の下で』ANAの機内誌『翼の王国』に連載されていた12作品と、旅にまつわる6つのエッセイが収められた作品集です。直接的にしろ、間接的にしろ何らかが旅に触れられていて、(旅にそそられはしませんが)まさに旅の空で…
【本の感想】吉田修一『さよなら渓谷』過去の悲惨な出来事から抜け出せない男女。赦されたいけれどそれは別れを意味する。赦したいけれど赦すと自分を見失ってしまう。 哀しみや憎しみから出発する愛もある。ひとつの愛のかたちとして受け止めました。
【本の感想】吉田修一『パーク・ライフ』純文学が表しようのないものを文章にする文学ならば、何もないことをしたためている 吉田修一 『 パーク・ライフ 』も純文学なのでしょう。何もないのに詰まらなくないのが素晴らしい。ハッピーもアンハッピーも…
【本の感想】吉田修一『パレード』2LDKのマンションをシェアする男女の群像劇です。冒頭の、先輩の彼女に恋してしまった杉本良介の話は、ゆるゆるの青春小説の趣。涙あり笑いありで最後はホットなドラマを予想しましたが、読み進めると、これはす…
【本の感想】吉田修一『初恋温泉』実在する温泉宿で繰り広げられる、5組のカップルの物語です。湯煙の中に人生の機微が透けて見えるような作品集となっています。ホンワカあり、ほろ苦ありで、身体の芯までじわーんとなるのが、”吉田”温泉の効能な…
【本の感想】吉田修一『太陽は動かない』機密情報という金鉱を探り当て、高値で売り捌くことを生業とする、トレジャーハンターたちの活躍を描いた作品です。エスピオナージ+冒険小説+ハードボイルド+(ちょっぴりだけ)恋愛小説という贅沢な逸品となって…
【本の感想】吉田修一『横道世之介』長崎から上京し、大学生活を送る横道世之介の一年間を描いた青春小説です。平々凡々で、大きな事件など起こりはしないけれど、忘れられない物語です。世之介と彼をを取り巻く人々のその二十年後が、所々で挿入される…
【本の感想】吉田修一『静かな爆弾』聴力にハンディキャップのある女性と、テレビ局に勤務する男性が織り成す恋愛小説です。男性をありがちな庇護者として描いておらず、湿度が極めて少ない作品です。なにより、音で隔絶された二人の出会いのシーンが素…
【本の感想】吉田修一『路 (ルウ)』台湾新幹線プロジェクトに携わった人々と、その周辺を描く群像劇です。物語は、現地台湾で、日本の威信をかけたプロジェクトを完遂せんと奮闘する人々を中心に展開します。プロジェクトの進捗と、それに伴う人々の悲…
【本の感想】吉田修一『7月24日通り』夢想女子の恋愛模様を描いた作品です。自身の住んでいる街を、未だ見ぬリスボンと重ね合わせ夢想するのが好きなOL小百合。同窓会で憧れの存在聡と再会し、アプローチを受けます。その頃、小百合には出会いがあって…
【本の感想】吉田修一『東京湾景』東京湾を挟んだ品川埠頭とお台場で展開されるラブストーリーです。携帯サイトで知り合ったワークスタイルもライフスタイルも違う二人。恋しくて愛おしくてといった胸焦がれるほどの思いを感じない、どこか乾いた部分…
【本の感想】吉田修一『橋を渡る』別々の3つの物語が、最終話の70年後の未来で一つにつながるという珍しい展開の作品です。ちょっとだけ波乱ありの日常が描かれるのですが、一体どこへ連れていかれるか分からず最終話でテンション下がり気味。しか…