【本の感想】吉田修一『最後の息子』

吉田修一『最後の息子』

1997年 第84回 文學界新人賞受賞作。

吉田修一『最後の息子』は、デビュー作にして文學界新人賞を受賞し、第117回芥川賞候補になった作品です。純文学も大衆文学もイケる吉田修一の原点を探ってみました。デビュー作には、その作家の全てがあるといいますから。

本書『最後の息子』は、タイトル作の他、『破片』『Water』が収録された短編集です。三篇とも趣きは随分と違いますが、共通するのは、登場人物が現実に目を背けていることでしょうか。何気ない日常の風景に、ネガティブなものを投じると、忘れ難い物語に変じるから不思議です。特に、家族の中にネガティブさを持ち込まれると、居心地の悪さゆえに、却って作品に引き込まれてしまいます。

本書の短編は、『パークライフ』に収録の『flowers』に近いですね。何もないことが心地の良い『パークライフ』の方が、異質なのでしょうか。(リンクをクリックいただけると感想のページに移動します

■最後の息子
新宿のオカマ閻魔ちゃんと同棲しているぼく。ぼくは、閻魔ちゃんを愛しているわけではなく、ゆったりと本を読んで過ごしたいから一緒にいます。閻魔ちゃんに愛想を尽かされるわけにいかないから、金をくすねたり、足蹴にしたり、ひどい夫を演じて気を引くのです。

本作品は、ぼくのビデオ日記の体裁です。ホモ狩りで命をおとした友人を悼み、ビデオを撮り続けるぼく。怠惰に過ごしたいから愛していない男と暮らすという欺瞞を、フィルターを通して眺めているようです。あたかも、映像に映ったものが、本当の自分ではないかのように。「最後の息子」という言葉に込められた、閻魔ちゃんのぼくへの思いを知った時、ぼくは、フィルターを外して向き合うことができるのでしょうか。愛とも友情とも違う、心の機微が描かれた作品です。

なお、本作品は、『春、バーニーズ』で後日譚を読むことができます。

■破片
一年ぶりに東京から故郷に帰ってきた大海と、実家の酒屋を継いだ弟 岳志。大海は東京での暮らしがパッとせず、岳志はストーカーまがいの行為を続けています。大海と岳志は、幼い頃、母親が土石流に飲まれるのを目撃したのですが、これが、二人のしっくりいかない今を暗示しているようです。

大海と岳志の日々に、二人の幼い頃の出来事が挿入されるかたちで、ストーリーは展開します。大海、岳志、そして父親。語り合うことが難しくなってしまった家族の微妙な距離感が、伝わってくるようです。彼らの関係は、岳志が割ったビール瓶の破片で飾り立てながら、長い時間をかけて改装している廃屋に象徴されているのでしょうか。

■Water
凌雲、浩介、拓次、圭一郎の高校水泳部員が、県大会を目指す日々をつづっています。友情あり恋愛ありの王道のスポーツ青春小説。この短編集では、一番、清清しく、アツい気持ちになれる作品です。

亡くなった兄に憧れ、水泳の道へ入った主将の凌雲。寝ても覚めても水泳一色です。そんな凌運は、圭一郎の彼女 藤森さんに恋をしています。しかし、圭一郎は、浩介に同性愛の感情を抱いているらしい・・・。こういう瑞々しい関係が、テンポ良く描かれています。県大会の最終レースが、クライマックスです。思わず力が入ってしまうことでしょう。

凌雲の母は、兄が亡くなった事実を受け入れられず、情緒が不安定になっています。現実から目を背けているのです。この短編集に通底するものは、この快活な作品にも見られます。

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