殺人を犯し、少年の頃暮らしていた修道院兼教護院に身を隠す青年 朧が主役の連作短編集です。本作品集に通底するのは、欺瞞に対する沸々とした憤懣でしょうか。
【本の感想】花村萬月『笑う山崎』
1995年 このミステリーがすごい! 国内編 第4位。
花村萬月作品には、激しい暴力の裏側に、不恰好な愛が透けて見えます。あまりに陳腐な表現で、ファンは辟易してしまうでしょうが、自分には一番しっくりきます。
『笑う山崎』は、まさに暴力と愛の物語です。
非道な限りを尽くす極道 山崎を主役に据えた連作短編で、胸が悪くなるような暴力と、情けないほどの純粋な愛情が描かれていきます。他者へ暴力が過激さを増すと、家族への愛情が溢れ出すという理解し難い世界。この不可思議なバランス感覚が、他の暗黒小説と一線を画しています。
山崎は、一見、暴力と無縁の優男です。しかし、人間性を微塵も感じさせない冷酷なやり口で、極道の世界にいる者たちを震撼させています。そこに美学があるわけではありません。極道としての生き方があるだけです。本作品で描かれるのは、アンチヒーローではないのです。
関西の暴力組織を一代で席巻し、東京へその勢力を伸ばし始めた山崎。本作品の冒頭、山崎の登場シーンは、度肝を抜かれてしまいます。山崎の下戸を嘲笑したフィリピン人ホステスのマリーの鼻を、ダイヤ入りの腕時計でぶん殴り砕いてしまうのです。曲がった鼻の治療代として、着けている時計を投げ与える山崎。なんと、この激烈なことか!後に山崎は、マリー、そしてマリーの子パトリシアと家族を形成していくのですから、これまた尋常ではありません。
山崎は、意にそぐわない者を、徹底的に痛め付け、何らの感情を見せず殺戮していきます。あまりの酷さに、戦慄すら覚えるでしょう(残虐なシーンが嫌いな読者は注意されたし!)。反面、義理の娘パトリシアに背かれ、苦悩し、涙にむせんだりするのです。
エリート極道の山崎は、独特の哲学を持っています。読み進めていくと、同業者を屈服していくカリスマ性が明らかになっていきます。山崎の、長広舌で開陳される極道哲学は、必読です。
本連作短編は、「笑う山崎」の他、以下の短編が収録されています。「山崎の憂鬱」/「山崎の帰郷」/「炙られる山崎」/「走る山崎」/「山崎の情け」/「山崎の依存」/「嘯く山崎」。著者のあとがきによると、「笑う山崎」は、シリーズとするつもりはなかったそうです。確かに、「笑う山崎」とそれ以外の短編は、ちょいと趣が異なるかもしれません。
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