【本の感想】花村萬月『ゲルマニウムの夜』

花村萬月『ゲルマニウムの夜』

1998年 第119回 芥川賞受賞作。

花村萬月『ゲルマニウムの夜』は、殺人を犯し、少年の頃暮らしていた修道院兼教護院に身を隠す青年 朧が主役の連作短編集です。

著者の作品には、グロテスクともいえる暴力やあからさまな性的描写が多く見られます。そんな中にも、著者なりの美学があるのですが、本作品集にはどうにもそれを感じとることができません。本作品集に通底するのは、欺瞞に対する沸々とした憤懣でしょうか。読み進めると、朧の自己中心的な正義(?)にゲンナリしてしまいます。ただ、こういう露悪的なものにも惹かれるのは事実であり、それは、自分の中の暗黒面をくすぐるからなのだろうと思います。

■ゲルマニウムの夜
修道院兼教護院を15歳で卒業し、22歳で再び舞い戻った朧は、農作業に従事する日々を過ごしています。ある日、修道女見習いの教子を、どちらが誘ったのか判然としないまま凌辱するのですが、欺瞞に満ちた聖なるものを卑しめんとする、朧の精神を垣間見ることになります。一見、寡黙な朧の掴みどころのなさは、秘めたる暴力性を表しているようであり、慇懃な言葉使いは、異様さを印象付けます。

朧は、匿われる見返りとして、院長神父ドン・セルベラへの性的な奉仕を続けており、この嗅覚や皮膚感覚を刺激する描写には悪寒が走ります。

■王国の犬
同僚の宇田川君への破壊的な暴力、そしてシスターテレジアの凌辱と「ゲルマニウムの夜」より、朧の無軌道さが際立ってきます。教義のために車椅子の人となったモスカ神父へ、殺人と凌辱を悪びれず告白する朧。モスカ神父との問答は、”救い”の意義を突き付けるのです。そして、モスカ神父は・・・

潰された雌豚の子宮から胎児をひりだすシーンの、ぬめりとした感覚は後を引きます。

■舞踏会の夜
朧を慕うジャンは、荒川少年に性的な暴力を受けています。朧は、その姿に、自身が中学生二年生の頃、先輩三浦から受けていた壮絶ないじめを重ね合わせるのでした。いじめの描写もさることながら、朧の激情を発露させるシーンが鮮烈です。ここに朧の根本があるように思えます。ジャンの決着の付け方や、神父らの俗物根性あふるる態度を含め、本短編集の中では一番、嫌悪感と文学的な面白さが同居する作品です(前の二作があってこそなのですが)。

努力とは敗者の免罪符だ。

煩悩は、犬のように人につきまとう。笑えるな。けっこう、笑える。煩悩は、僕の愛犬だ。

本作品集は、「王国記」としてシリーズ化されて続きます。積極的にではありませんが、読んでみようかな、という気にはさせてくれますね。

本作品が原作の、2005年 公開 新井浩文、広田レオナ 出演 映画『ゲルマニウムの夜』は、こちら。

2005年 公開 新井浩文、広田レオナ 出演 映画『ゲルマニウムの夜』
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