【本の感想】津村記久子『ポトスライムの舟』

津村記久子『ポトスライムの舟』

2008年 第140回 芥川賞受賞作。

働くことの意義とは何であるか。

深刻さはそれほどではないけれど、自分の場合、この疑問は定期的に訪れます。目の前の事だけで頭の中がパンパンになっている時よりも、仕事に多少余裕がある時に湧き上がってくるようです。

津村記久子『ポトスライムの舟』は、そんな感覚を表現してくれているように思えます。発表された当時は、派遣切りやワーキングプアといった問題がクローズアップされていたようで、世相を反映した作品なのでしょう。しかし、本作品は、そこに見られる悲劇に拘泥するのではなく、むしろ、日々を前向きに生きていこうという活力、そして清々しさを感じさせてくれます。

工場で働く派遣社員のナガセは、ある日、掲示板の世界一周のクルージングのポスターに目をとめます。旅費はナガセの一年分の給料相当です。時間を金で売る虚しさにとらわれていたナガセは、一年分の働きを世界一周旅行に換金することに思い至ります。それまでのナガセにとっての働く意義は日常生活そのものでした。世界一周旅行という目標を手に入れたとき、ナガセの働く意義は変化を見せてきます。

そもそもナガセは常に忙しくしていたい人です。工場勤務の他に、友人のカフェでのアルバイトや、老人相手のパソコン講師もしています。生活のためというより、働くことそのものを目的化してしまっているようです。それは、体調を崩して勤務先を休まなければならなくなった時の居場所の喪失感にあらわれているように思えます。

カフェを経営するヨシカ、専業主婦のそよ乃、離婚し子供を連れてナガセの家に転がり込んできたりつ子。本作品に登場するナガセの大学時代の友人たちは、働くことだけに縛られてはいません。嫉妬のような露骨な感情表現はないのだけど、ナガセの心中が穏やかではないことは想像ができます。

さて、タイトルのポトスライムの舟とは何でしょうか。作中ではポトスは水さえあればどんどん繁殖するけれど、食べることはできない植物と表現されています。ナガセの逞しさをあらわしているのか、それとも意義を見いだせず働き続けることの象徴なのでしょうか。自分はここがしっくりといっていません。読み間違えているのかもしれないな。

主人公の長瀬由紀子は、冒頭以降、ナガセとカタカナで表記されます。慣れるまでは違和感があったのだけど、この表記だと生々しくないので、女性主人公であっても、男性読者が共感がしやすのかもしれません。主人公とのある程度の距離を保ちながら、軽快さが心地良い作品に仕上がっていると思います。

同時収録の『十二月の窓辺』は、解説にあるとおり『ポトスライムの舟』の前日譚のようです。上司からパワーハラスメントにあっているツガワの、会社を辞める決意に至るまでの出来事をつづっています。『ポトスライムの舟』より起伏があるし、ちょっとしたサプライズもあってストーリーとしてこちらの方が面白いでしょうか。著者も同様の経験をなさったようだから、自伝的な要素の強い作品なんですね。