【本の感想】三崎律日『奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語 』

三崎律日『奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語 』

三崎律日『奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語 』は、著者曰く、奇書を通して昔と今の「価値観の差分」を探る事に挑戦するものだそうです。

奇書研究家としてニコニコ動画やYoubeへ動画投稿を行っている著者。アカデミアの研究者とは異なり、物好きが高じて本をまとめあげたということになりますか。執筆者が趣味の人となると内容の真偽に疑問符をつけてしまいがちですが、読書量にうらうちされた著者のコメントは納得性の高いものです。ファンが多いのも宣なるかな(松閣オルタ『オカルト・クロニクル』と同様です)。(リンクをクリックいただけると感想のページに移動します

研究者による狭く深い専門書籍より、広く俯瞰して見る事のできる本書の方が、手軽な分だけ間口が広く興味をそそられる方が多いのではないでしょうか。真偽を確かめたい!、より深く知りたい!となれば、そこから専門書籍を掘り起こしてみる、という使い方もできますね。

本書に取り上げられている奇書(と定義したもの)は、当時は正しいと信じられていたが現代からみたらあり得ないもの、当時は異端であったが現代では偉大な功績となっているもの、偽書といわれるでっち上げのもの、内容を詐称したもの(これは奇書?)、その他、です。

15世紀 異端審問官インリヒ・クラーメル、ケルン大教授ヤーコブ・シュプレンガー共著による「魔女の鉄槌」は、魔女狩りに関する手引書で、17世紀にかけてヨーロッパに広く翻訳され実用(?)に供されました(森島恒雄『魔女狩り』に、活用の詳細は記載されています)。現代から見ればトンデモ本。しかしながら当時は、正統なノウハウ本だったのです。その成立の過程に興味が惹かれました。なお、「魔女の鉄槌」の普及には印刷技術の革新が一役買っていたとのことです。なるほど。

ジョルジュ・サルマナザール「台湾誌」は、自称台湾人による台湾の歴史書で、地理、民族、風習が記載されているものの、すべては妄想の産物。ペテン師プロデューサとの二人三脚ででっちあげた書物は、驚きの大物登場で、木端微塵。著者の往生際の悪さが印象的です。

古物商ウィルフリド・ヴィオニッチによって再発見された「ヴォイニッチ手稿」は、全編暗号で書かれた手書きの古文書です。今もって、その真偽が不明で、解読にロマンが掻き立てられます。いつの日か、全貌がわかったらつまらないものだったりして・・・。謎にチャレンジしているときが一番、楽しいのかもしれませんね。

新渡戸稲造「野球と其害毒」は、野球が教育上、そして発育上、よろしくないという論説です。「武士道」をものしただけに、盗塁など姑息とうつったのかもしれません。野球の害毒論に対するアンチテーゼは大阪朝日新聞によるお手柄とか。なるほど高校野球のさわやかイメージはここからきているのです。ちなみに、札幌には新渡戸稲造記念公園というとっても地味なスポットがあるのですが、狭くてキャッチボールぐらいしかできそうもありませんよ。

ジョナサン・スウィフト「穏健なる提案」は、アイルランドの窮状を憂えた風刺論文です。貧困層の子供の食糧価値を算定するなど悪趣味ですが、本書の著者が寄せるコメントには首肯せざるを得ません。

ヘンリー・タガー「非現実の王国で」は、18歳から81歳までひとり書き綴ったファンタジー絵巻です。ヘンリー・タガーはアウトサイダー・アーティストして取り上げられており、彼のエクセントリックさは感動すら覚えます(服部正『アウトサイダー・アート』斎藤環『戦闘美少女の精神分析』が参考になります)。

ヤン・ヘンドリック・シェーン「フラーレンによる52Kでの超伝導」は、超伝導ブームに乗っかったドイツの(元)物理学者による偽造論文です。これが奇書なの!は疑問です。日本でも同じような出来事がありました。カリスマ研究員シェーンの方は同情の余地なしですね。

異端審問官ウィリアム・フォスター「軟骨を拭うスポンジ」、および医師ロバート・ブラッド「そのスポンジを絞り上げる」は、17世紀の武器軟膏なる、遠隔治療の実用の書です。武器による傷の治癒は、その傷を与えた武器そのものに軟膏を塗布することによって行うとか。エビデンスはというと、人間の自己治癒力との相関なんですね。医師ですら信じているというのが、面白くはあります。とはいえ、現代でも不純物混じりけなしの水を化粧水とし、お肌の治癒力との相関を利用して儲けているところもあるようですが。

ウマル・ハイヤーム、フランシス・サンゴロスキー装丁「サンゴロスキーの『ルバヤード』」は、5,000ドル(現在価値の2,000万円也)の価格設定をした宝石装丁の豪華本。これまた奇書かというと疑問ですが、タイタニックとともに海の藻屑と化したあたりロマンチックです。再販するも不幸の連鎖ということで、奇書というより呪いの書になりますか。

椿井政隆「椿井文書」は、江戸後期古文書でまったくの偽書。山城、大和、河内、近江の地方の地域史に混入しているそうです。趣味もここまでくれば名人芸。これまで真実とされている歴史的事実であっても解釈は随分、変わってきていますから、そりゃぁそんなこともあるよね、というのが率直な感想です。

ピエール・ルイス訳「ビリティスの歌」は、19世紀ドイツ古典学者C・ハイムが発見した古代ギリシア時代の散文詩集・・・なのですが、実はフランス語訳者ピエール・ルイスの完全な創作。学者、専門家も、便乗してしまうほどのリアリティは、こちらも名人芸です。意図したかどうかは別として、当代きっての知識人を翻弄したのは痛快でもあります。

本書には、番外編として「天体の回転について」「物の本質について」「月世界旅行」が記載されています。天文学、哲学、科学を、その歴史を紐解きながら、どのように思想が変遷していったかが読み物として分かりやすくまとめられています。学校の歴史の教科書より、こちらを読んだ方がはるかに勉強になります。

終わりまで読み進めると著者の意図はある程度成功していることが分かります。ただ、個人的には奇書とは違うだろう、というものも取り上げられていて、タイトルに違和感を覚えたのも確かです。

会計史研究家でブロガーであるルートポートの解説が、本書の思いを端的に表しています。

フェイクニュースが跋扈し、ツイッターでは日夜デマが拡散される。そんな時代たからこそ、過去の「奇書」から得られる教訓は大きい。あなたは(そして私も)信じたいことだけを信じていないだろうか ?