【本の感想】服部正『アウトサイダー・アート』

服部正『アウトサイダー・アート』

既成のシステムからの逸脱をアウトサイダーと言うのならば、アートの世界にもアウトサイダーがいます。彼らの芸術は、本来アートが持つべき自由と奔放さに彩られ、それに触れるものにトキメキを与えます。

アウトサイダー・アート。

「アートの枠組みに囚われないアート」という不可思議な概念。服部正『アウトサイダー・アート』は、そんなアウトサイダー・アートを通して、アートの本質を解き明かしてくれます。

そもそも、アウトサイダー・アートには病理的な印象がつきまとうのですが、本書では、正当な美術教育を受けていないなど、美術と無縁な人たちが創った作品全般を指しています。精神的な疾患や知的な障がいがあるということはあくまで結果論であって、アウトサイダー・アートの必要条件ではないとしています。

本書は、アウトサイダー・アートの芸術性がどのように認知されてきたかを紐解きます。ブリンツホルンに発見されたドイツ表現主義の画家や、シュルレアリストによる評価、そしてデュビュッフェのアール・ブリュットへ。日本では山下清をプロモーションした式場隆三郎を取り上げます。

ここで著者は、戦後の日本においてアウトサイダー・アートは、常に知的障がい者の教育と共に存在した事実に注目しています。「重い十字架を背負う」という表現で、芸術は善行が目的ではないと主張します(ただし、著者は、善行そのものを否定しているわけではありません)。福祉的な理念を語ると、美術という制度の問題提起ではなくなってしまうと言うのです。アウトサイダー・アートの定義からすると、教育という行為そのものが矛盾を孕んでしまいます。

アウトサイダー・アートの創り手には、本人だけに首尾一貫した、描かずにいられない内的な物語があると言います。孤立無援の一代限りぶりがアウトサーダ・アートの独自性の本質ということです。本書に紹介されている作品の数々と、創り手たちの人生から、夢見ることの大切さ、素晴らしさを感じることができます。なかでも一介の郵便局員フェルディナン・シュヴァルが、道端の石ころを集めて創った「理想宮」は圧巻です。周りから蔑まれながら三十年余をかけて紡ぎ出した、彼の壮大な物語に触れてみたくなります。

本書は、既成の枠組みから解き放なたれるということについて、考えさせられる一冊でした。

アウトサイダー・アートからは、芸術や表現行為についての答えよりは、疑問や驚きばかりが浮かんでくる。だが、その驚きこそがアウトサイダー・アートが私たちに与えてくれるもの、それは、驚きをもって世界や人間を見つめる新鮮な心だ。

なお、フェルディナン・シュヴァルの「理想宮」は、岡谷公二『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』にて詳説されています。