【本の感想】皆川博子『壁・旅芝居殺人事件』

皆川博子『壁・旅芝居殺人事件』

1985年 第38回 日本推理作家協会賞受賞作。

権威ある国内のミステリ文学賞と言えば、日本推理作家協会賞。扶桑社の日本推理作家協会賞受賞作全集は、1948年第1回受賞作(長編賞は横溝正史『本陣殺人事件』)から歴代の受賞作品を収めた全集文庫です。大きな書店にしか置いていないし、ごくたまに重版されてすぐ品切れになるという、文学賞好きの自分にとっては気になる全集です。

皆川博子『壁・旅芝居殺人事件』は、第38回の長編部門の受賞作です(同時受賞は北方謙三『渇きの街』)。○○殺人事件のタイトルはいただけないのですが、芝居小屋を舞台とした、もの悲しさの漂うミステリに仕上がっています。

芝居小屋 「桔梗屋」の最後の公演で、綱渡りを披露した立花知弘が、奈落に落下し死亡します。立花の死体のすぐ近くには、同公演の出演者である大月城吉の絞殺死体が。「桔梗屋」の経営者 三藤秋子は、15年前、市川蘭之助一座の公演中に起きた出来事に思いを馳せます。それは、当時9歳の秋子の記憶に鮮烈に焼き付いた、失踪事件と殺人事件でした・・・

大輪の花が、宙を行く。
 天井の一隅に、光がのびた。強烈な光は、その周囲を闇に塗りこめた。スポットライトの輪のなかに素足が浮かぶ。はり渡された綱が白い足の裏にくいこみ、紅梅色の蹴出しを割って歩み進む力をこめた足の指に、血の色が透く。高々とからげ、帯にはさんだ花浅葱の小袖の褄、緋のしごき、白塗りの蘭之助をライトがとらえる。

これは、冒頭の、市川欄之助の四綱渡りシーンです。優美な所作の中に、息を呑むような緊張感が伝わってきます。

本作品は、日本推理作家協会賞 選考委員の生島治郎に「・・・率直に云えば、同じ書き手としてとてもかなわねえなあという感想をもった・・・」、と言わしめたそうです。なるほど、艶やか文体に出だしから、どんどん引き込まれてしまいます。旅芝居の美しく華やかな表舞台と、薄汚れじめついた裏側が、細やかに描かれ、虚飾の世界が、雄弁に語られるのです。

ミステリの筋立ては、主人公が現在の事件と、過去の事件を重ね合わせるうちに、やがて時を隔てた悲しい真相に辿り着くというものです。幼かった秋子が大人になり、解き明かされるドミノ倒しの最初の一枚とは何か。タイトルの「壁」は、事件の真相を外界から隠蔽するものです。しかし同時に、秋子そのものを守る存在を象徴していたのかもしれません。子供から大人への「壁」を乗り越えた秋子。そしてその先にあるものは ・・・

残念ながら、秋子が真相を明らかにする過程は、拙速の感が否めません。解説が示唆する通り、頁数の制約からきているのでしょうか。旅芝居の濃密な描写に比べて、ラストがばたばたしているような印象を受けます。そうであっても、十分に練られた構成は、賞賛に値するとは思うのです。

著者の作品を一言で表すなら、”耽美”となりますか。全ての作品が傑作とは言えませんが、どれも艶っぽくて怪しい美しさは、汲み取ることはできます。

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