【本の感想】沼田まほかる『猫鳴り』

本の感想 沼田まほかる『猫鳴り』

猫が苦手だというとなんだかヒドイ人に思われそうで、カミングアウトをしていません。最近は、見ているだけでイライラしてくるので、嫌いに近いのだと思います。前世で何があったやら・・・

ということで、猫愛に溢れた小説はなかなか読む気になれません。ネコカワイイー、ネコダイスキーで迫られるとうんざりしてしまうのです。沼田まほかる『猫鳴り』は、このタイトルの響きからして、猫愛を感じてしまいます。

しかし、読んでみるとそう単純ではないことが分かります。

本作品を手にしたのは、ひとえに著者への興味が優ったがゆえなのですが、著者の猫愛はあからさまではありません。無条件にただ猫の美しさを愛でるのではなく、猫独特の醜さをも執拗に描いているのです。清濁併せ呑むとでも言いましょうか。そこに包み込むような暖かさを伺い知ることができるのは、著者の筆力が高いからなのでしょう。

第一部は、子を流産し打ちひしがれていた信枝と、捨てられた仔猫との出会いから物語は始まります。亡くした子の代償として、仔猫に感情移入していく様が描かれるのであれば、読み飛ばしても良い作品です。本作品の信枝は、幾度も仔猫を捨て去り、残酷さをうかがわせるような眼差しでその様子を見つめます。仔猫を、亡くした子と重ね合わせるのを潔しとしないのです。

淡々と流れる夫 藤治との二人の時間。

闖入者への信枝の行為には、ヒリヒリするような悲しみの深さが表れています。仔猫を飼うようになるのは想像に難くないのですが、そこに辿りつくまでの話しの運びに引き込まれていきます。

第二部は、不登校の少年 行雄の暴力衝動を伴なった心の闇が描かれています。第一部とのつながりは、モンと名付けられた仔猫と、モンに心を寄せる少女アヤメが、行雄と些細な関わりを持つだけです。

第三部は、信枝に先立たれ六十になった藤治が、モンの最期を看取る姿が描かれています。第一部から第三部までが、連続したひとつの物語を形成しているわけではありません。しかし、第二部で行雄の父親が口にしたのは、全編に通底しているように思えます。

人には決して折り合いがつかず、受け止めざるを得ないものがあります。

第三部で、モンの魂が消える時、気持ちにぽっかり穴があいたような感覚に陥るのは、諦念を読み取ってしまうからなのでしょう。絶望を乗り越えるとは言うは易し。安直な光明を提示しないだけに、心に迫るものがこの作品にはあります。ただ、猫を見つめる著者の視線からは、絶望をも織り込んだ人の生き様に対する暖かさを同様に感じることができるでしょう。

タイトルの猫鳴りというのは、あの喉をゴロゴロいわせる状態です(著者の造語だよね)。第三部で、モンは至福を時を得たのです。

Although the world is full of suffering, it is full of the overcoming of it.

Helen Keller

ちなみに、自分は、猫鳴りが薄気味悪くてしかたがありません。

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