【本の感想】連城三紀彦『どこまでも殺されて』

連城三紀彦『どこまでも殺されて』

1990年 週刊文春ミステリーベスト10 国内部門 第9位。

連城三紀彦『私という名の変奏曲』は、7人の人物が1人の女性をそれぞれ殺害するという、とてもトリッキーな作品でした。

『どこまでも殺されて』は、なんと、同じ人物が7度殺されているという、これまた奇妙奇天烈な設定です。

本作品は、”僕”の手記から始まります。

小学校入学以来、様々な人から”僕”は、繰り返し殺され続けています。縊死、水死、轢死、爆死させられながら、気がつくとまた次の死が待っているのです。今、高校生になった”僕”に、8度目の殺される時が迫って・・・

冒頭から、”僕”の絶望の日々が綴られていきます。なぜ殺されるのかは判然としません。ただ、”僕”は、誰からも疎まれています。命の消える瞬間の諦めに似た感情に胸が締め付けられます。

殺されては蘇り、また殺される。まるで、狂人の手記です。全く訳が分かりません。途中で投げ出さないでいられるのは、著者の話しの運びが上手いからなのでしょう。物悲しさを織り込みつつも、次はどのような展開になるのだろうという、期待を抱かざるを得ません。

手記が終わると、とある高校の教員室に場面が移ります。教師の横田は電話口から

「助けてください。殺されかかっているんです、僕は今」

という悲痛な叫びを耳にします。半信半疑ながら、この電話を無視することができない横田。横田は、自身が受け持つクラスの生徒、苗場直美の力を借り、真相追求に乗り出すのでした・・・

ここから、”僕”は一体誰なのか、そして繰り返し殺されるとはどういうことなのかが、横田と直美によって明らかにされていきます。助けを求めながら一向に正体を明らかにしない”僕”。ここも謎のひとつ。試行錯誤しながら横田と直美が真相に辿りつく過程が面白いですね。ただし、冒頭の重苦しい手記と、この学園ミステリのノリとのギャップに戸惑ってしまうかもしれません。

ネタばらしまで読者が真相を知ることは難しいので、二人の活躍を追うしかないというじれったさがあります。じれてじれて、結局自分は、う~ん、そうきたかぁ・・・と多少脱力したのでした。オチとしては、似たような作品がありますからね。『私という名の変奏曲』の方が、納得感は大きいかもしれません。

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