【本の感想】ねじめ正一『高円寺純情商店街』

本の感想 ねじめ正一『高円寺純情商店街』

1989年 第101回 直木賞受賞作。

自分の父方の実家(つまり、じいさんの家)は、北海道の地方都市で商売をしていました。

果物や乾物、魚まで売っている、いわゆる何でも屋さん。小さな店だったのだけれど、一時期はとても賑わっていたのです。近所には、風呂屋、理髪店、駄菓子屋、パン屋があって、ちょっとした商店街を形成していました。小学生に上がる前の自分は、じいさんの家のすぐ隣に住んでいたので、この商店街が自分の知っている世界の全て。

じいさんの手伝いで店番をしたり、お使いをしたり、商品の並び替えをしたり、つまみ食いをしたりの毎日。ご近所とも交流が深くて、自分は、○○さんのお孫さんとして、商店街では随分可愛がられました。今となっては、昭和の古き良き時代の思い出です。

ねじめ正一『高円寺純情商店街』は、まさに昭和の商店街の風景をそのまま写し取ったような作品です。

削りがつをが評判の乾物店江州屋の一人息子、中学生の正一が主人公の連作短編集。どの短編も、何か大きな事件が起こるわけじゃありません。江州屋と共に生きる家族と、商店街の人々との関わりの中で発生したちょっとした出来事が、正一の目を通して、描かれていきます。

詩人の著者ならではでしょう。言葉の選び方にとても気を配っているように思われます。暖かい目線で人物や情景を活写しているのです。

例えば、「六月の蝿取紙」にこういう一文があります。

乾物屋の蝿取紙はなんだか拭き忘れたウンコみたいだし、わざわざ自分のところでバイキンを飼っているのを宣伝しているみたいだ。色からして茶色くて汚らしい。そう考えるといつも気持ちがどんどん暗くみじめになってくる。正一は暗くなってゆく気持ちを少しでも明るくしたくて、蝿取紙の品種改良を考えたことだってあるのだ。

今の若いコは知らないだろうけれど、昭和のお店にはよく蝿取紙がぶら下がっていました。蝿取紙は、飛んでくる蝿をくっつけて取るための帯状の駆除用品。蝿の多い季節は、蝿取紙に蝿やら何やらが鈴なりになります。自分も、じいさんの店の蝿取紙を見るたびに、正一と同じように何だか嫌な気分になったものです。

本連作短編集を読んでいると、自分の子供の頃の記憶がまざまざと蘇ってきます。当時、大人の会話はさっぱり分からなかったのですが、思い起こすと様々な出来事を商店街の人々が寄り添って解決していたようです。昭和の商店街の人情味を改めて感じることのできる一冊でした。

7年ほど前、じいさんの後を継いだおばさん(自分の父親の姉)が老齢のため店を閉めました。商店街では唯一残った最後の店。父親の転勤で、小学生の頃、商店街を離れた自分にとって、思い入れがあるわけではないのですが、ひとつの時代が終わったような感慨は持ちました。

(余談)
じいさんが作って店に出していたコロッケを、何故、母が食べなかったのか気になったので聞いてみたことがあります。「じいさんが、鼻水ぬぐった手で作ったコロッケは食べられない」ってことでした。お客さんすみません・・・(50年以上前の話ですぅ)