【本の感想】金原ひとみ『蛇にピアス』

金原ひとみ『蛇にピアス』

2003年 第27回 すばる文学賞受賞作。
2004年 第130回 芥川賞受賞作。

金原ひとみ『蛇にピアス』は、綿矢りさ『蹴りたい背中』と共に芥川賞を受賞しました。当時、至上最年少での受賞と、お二人の容姿が随分話題になっていたと記憶しています。(リンクをクリックいただけると感想のページに移動します

いうならば、芥川賞的ポップ・アイコン。

自分のような取柄のないおっさんは、圧倒的な若い才能を目の前にすると、恐れ戦いてしまいます。なので、本作品は、ずっと読むのを躊躇っていました。

きれいで文才があるなんてずるいじゃん…

スプリットタンにピアッシングのパンクス アマにナンパされたルイ。ルイはアマの身体改造に魅入られ、アマの家で同棲を始めます。アマはルイにベタ惚れですが、ルイはアマの女のつもりはありません。身体の関係はあっても、気持ちはどこか別のところにあります。

ルイは他者との精神的な繋がりを求めているわけではないようです。心の芯が冷えているようにさえ思えてきます。ルイは、アマから紹介されたシバさんの店で、舌にピアスを入れてもらいます。そして、ピアスの次は麒麟の刺青へと身体改造をエスカレートさせていくのです。

ルイが何故、ピアスや刺青に魅せられるのかは分かりかねます。著者のインタビュー記事を読んで、ちょっとカンニングしてみましょう。著者は、ピアスや刺青は鎧なのだと答えています。

つまり、ルイは、内面に踏み込んでくるものを恐れているということなんでしょう。ルイがどこか超然として見えるのは、外界から自己を守っているからなのです。

では、なぜルイは、鎧をまとわなければならないのか。ルイとシバさんは、アマに隠れてサディスティックな肉体関係を続けるようになっていきます。

アマの意外な暴力性に不安を抱きつつも、シバさんの破壊的な行為に身を委ねるルイ。痛みや快楽に浸っても、心まで侵食されるわけではありません。ルイは鎧をまとって、そのことを確認しているようです。

アマはルイの前から突然失踪し、そして他殺死体として発見されます。同棲していながら、本名すら知らなかったアマの死。その報を聞いて、初めてルイの感情が顕になります。怒りを伴なった狂おしいほどの嘆き。ルイは、知らず知らずのうちにアマに心を許していたのです。だから、いっそうルイの悲しみを痛々しく感じます。

鎧の内側にいたのは、人一倍傷つきやすい10代の女性です。この作品は、真実の愛に目覚めた女性の物語でしょうか。

いや、そうではありません。

アマの死を知って、ルイは、より強固な鎧であるより大きなピアスを付けようとします。他者との関係を絶っていかなければ、自身が壊されてしまう。そういう生き方しかできない不器用な女性の物語なのです。本作品の締めくくり方に良く表れていると思うのですが、どうでしょう。

アンダーグラウンドを描いた作品が、メジャーな文学賞をとると、どうにも違和感が付きまといます。アンダーグラウンドは、アンダーグラウンドだから意味があるというか。

村上龍『限りなく透明に近いブルー』の読後感に似ているなと思ったら、著者は、村上龍のファンだそうですね。あぁ納得。(リンクをクリックいただけると感想のページに移動します)。

本作品が原作の、渡辺ペコ 画 漫画『蛇にピアス』はこちら。

渡辺ペコ画の漫画『蛇にピアス』

本作品が原作の、 2008年公開 吉高由里子、高良健吾、井浦新(ARATA) 出演『蛇にピアス』はこちら。

2008年公開 吉高由里子、高良健吾、井浦新(ARATA) 出演『蛇にピアス』

原作をほぼ忠実に映像化しています。ルイ役の吉高由里子は、蜷川幸雄 監督に裸を見せて、主役に立候補したとか。なるほどの体当たり演技です。

喋り方が渋谷あたりの10代を模しているのでしょうが、ここに真実を見るか、上滑りしているように感じるかは、人によるかもしれませんね。自分は、あえて、喋り方にリアルを求めなくても、未熟さを表す術があったのではないか、と思いました。今見ると、チャラ系漫才が頭を過っちゃうのです。

アマ役 高良健吾のスピリットタンは、ホントにやっちゃった!と勘違いするほどによくできていました。藤原竜也、小栗旬といった蜷川ファミリー(?)がゲスト出演しています。なるほど・・・