【本の感想】ジャン・デ・カール『狂王ルートヴィヒ―夢の王国の黄昏 』

本の感想 ジャン・デ・カール『狂王ルートヴィヒ―夢の王国の黄昏 』

ルキノ・ヴィスコンティの『ルートヴィヒ/神々の黄昏 』を観たのはいつのことでしたか。

ヴィスコンティ、フェリーニ、ゴダール=映画ツウと勘違いしていた頃でしょうか。ヘルムート・バーガーの絢爛豪華な美しさと、やたら長かったことぐらいしか憶えてはいません。ヨーロッパの歴史に疎かったのもあって、ほとんど理解できていなかったと思います。

ジャン・デ・カール『狂王ルートヴィヒ―夢の王国の黄昏 』は、バイエルン国王ルートヴィヒ二世(1845年-1886年)の評伝です。

バイエルンは、ナポレオンによって、1806年 王国に昇格し、後にドイツ連邦に参加しました。ルートヴィヒ二世は、若干18歳にして即位した、バイエルン4代目の国王です。

父マクシミリアン二世から満足な薫陶を受けることなく、激動のヨーロッパに投げ出された若き王ルートヴィヒ。この頃は、プロセインの鉄血宰相ビスマルクがドイツ統一に邁進していた時代で、バイエルン王国は難しい立場にありました。

一般に喧伝されるルートヴィヒ二世は、国家財政の破綻もなんのその、自身の夢の王国実現のために壮大な城を次々建設する”狂った王”。ワーグナーに耽溺し、奇矯な行動で民衆の耳目を集めます。しかし、本書は、ルートヴィヒ二世を現実理解の欠如した人物として写し出すのではなく、聡明さにスポットをあてようと試みています。

抜き差しならない状況において、沈黙を通したことが、国家としての命脈を存続させたという結果論です。くわえて、築城における最先端技術への取り組みも評価しています。著者は、引きこもり傾向についても同情的なのです。

ルートヴィヒ二世は盲目なのか。いやそうではない。このとき王は、世の中の猥雑さと中傷にできるだけ傷つくことがないようにしようと決心しただけだった。

歴史的な事実を概観するにおいては、ルートヴィヒ二世の純粋さを理解できるものの、性格破綻者であることは否めません。芝居の登場人物に自らを擬し、夢の世界を彷徨します。

白鳥は、ルードヴィヒにとっては自分の夢の化身であり、幼年時代に知った伝説が魔法の力で目の前に再現されているのとおなじだった。

プレッシャーにさらされると、この傾向をますます強め国王失格、否、人間失格の状態に陥ります。このダメ人間っぷりは、婚約者であったゾフィ王女との一連の悶着に顕著です。

本書ではワーグナーとの関わりについて、かなりのページ数が割かれています。

血も涙もあり、あらゆる点で優しく力強い人間を模範とし、それを自らの先達とする。この人間を真似ることを使命とし義務としなければならず、そのためには、その人間を知り、完全に理解し、その生涯を研究しなければならない。このようにしてこそ、その人間の軌跡を間近にたどり、ついに、その示す模範に引き込まれ、その生き方を感得できるのだ

ルードヴィヒ二世は、ワーグナーを神聖化し、パトロンとして惜しみなく支援をつづけます。ルードヴィヒ二世の純粋さと、ワーグナーの山師っぷりが対比されているようで面白いですね。

本書のルードヴィヒ二世のポートレートを見ると、美しく若き国王が、徐々に醜く虚ろになっていく様がよく分かります。終生国王としての矜持を持ちながら、夢の中に生きることをよすがとするしかないルードヴィヒ二世。その亡羊とした瞳は、いったい何を見ていたのでしょうか。

もう一度、ビスコンティの映画を鑑賞してみましょうかね。

1972年公開 ルキノ・ヴィスコンティ監督 ヘルムート・バーガーー主演『ルートヴィヒ/神々の黄昏』

1972年公開 ルキノ・ヴィスコンティ監督 ヘルムート・バーガーー主演『ルートヴィヒ/神々の黄昏』はこちら。