残虐な手口で殺人を繰り返す外国人観光客フランクと、彼を風俗へアテンドする羽目になったケンジの数日を描いています。本作品はサイコパスもの?いえいえ、 グロテスクなだけのサスペンスではないのです。
【本の感想】村上龍『限りなく透明に近いブルー』
1976年 第19回 群像文学新人賞受賞作。
1976年 第75回 芥川賞受賞作。
村上龍『限りなく透明に近いブルー』は、ドラックと乱脈な性に溺れる青年の日々を描いた作品です。
自身の今についての悔悟とか、未来への希望や絶望とかが殊更、語られるでもなく、ただこの時のみという刹那的な生き方を強く感じます。
自堕落な生き方から逃れようと思えば何時でも逃れられる。でも、逃れる理由が見つからない。精神的な閉塞感は、肉体的な快楽だけでは打破する事ができないのです。
無謀な若さというのは誰にでもあります。自分にも思い返せばゾッとするようなひとときはありました(もちろん、本作品に比べれば、赤ちゃんのおねしょ程度なのですが)。今、振返ってみれば、その当時の自分の精神的な閉塞感は、本作品のそれと通ずるものがあったのかもしれません。
本作品を初めて読んだのは、自分が中坊の頃です。退廃という語そのままの生々しい描写と、それを客観視する突き放したようなクールさに衝撃を受けました(退廃の具体的なイメージができあがったのは、この作品なのです)。改めて読み直してみても、その時の印象は些かも変わりません。著者の実体験からでなければ表わせられないリアルがあります(想像ならそれはそれで凄いのですが)。
苦痛と快楽と虚無が混ざり合った暴力的な性行為の描写は、少年だった自分の感受性を随分といたぶたってくれました。主人公リュウの口の中にブラザーの精液が放出されるシーンは、今読んでもショッキングです。 しかしながら、20代の村上龍の文章に、感情を搔き立てる何かがある事には、読み返して気付かされました。
本作品の最後の一文は、ぐっとくるのもがあります。器用に生きる術を見付けたとしても、自身の芯には揺るがない確固たるものがあると信じたい。そのような叫びであると受け止め、共感しました。どうでしょうか。
1979年 村上龍監督 三田村邦彦主演映画『限りなく透明に近いブルー』はこちら。DVD化はされていないんですね (もちろん Blu-ray化も)。当時の評判は、芳しくなかったように記憶しています。
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