【本の感想】中村彰彦『二つの山河』

中村彰彦『二つの山河』

1994年 第111回 直木賞受賞作。

中村彰彦『二つの山河』は、大正時代の板東ドイツ人俘虜収容所所長 松江豊寿の半生を描いた作品です。

松江豊寿は、知名度は高くはありませんが(自分が知らないだけ?)、本作品を読むと、この時代にあってヒューマニズムの何たるかを理解していた人物のようです。

大正三年(1914)、日英連合がドイツを総攻撃し、中国山東省青島のドイツ軍東アジア拠点を攻略します。この戦闘の結果、俘虜となったドイツ兵は4,792名。彼らは、日本の各地に俘虜収容所に分散して収監されます。

ハーグ宣言において、俘虜に対する人道的な取り扱いを規則として定めていたものの、例えば久留米俘虜収容所など悪名高い収容所はいくつもあったとか。その中で、徳島俘虜収容所所長 陸軍歩兵中佐 松江豊寿(44歳)は、俘虜たちに対して、道義を重んじ、文化的に自由な気風をもって接していたのです。豊寿は、ドイツ人と現地日本人との、技術伝承やスポーツを通じた交流をも認めていました(スペイン風邪からも俘虜を護ったようです)。その後、松山、丸亀、徳島が統合され、板東俘虜収容所の所長に任命されます。

ここまでは、歴史上の事実です。著者は、豊寿の精神の源を、彼の出自から見出そうと試みます。

豊寿の父 久平は、会津藩士であり、新政府では賊軍の汚名を着せられます。さらに、所領を没収された会津の斗南開拓の夢も、新政府の意向で潰えと、煮え湯を飲まされました。西南の役での旧会津藩士の奮闘しかり、敗北を味わったものの反骨精神が育まれたのでしょう。

やむなく職業軍人となった豊寿でしたが、軍隊は会津を冷遇し続けたと著者はいいます。無役の軍人だったゆえに任命されたのが徳島俘虜収容所所長です。ドイツ人に同情的であったのは、豊寿の出自が大きく影響していたのです。

模範収容所として二年十カ月を過ごした後、左遷。しかし、部下からの信頼あつく、若松市長となった豊寿。履歴書には戦歴の記載を拒んだとのことですから、ここにも会津の人としての矜持を伺い知ることができるでしょう。辞任後も会津のために奮闘を続けたようです。

板東俘虜収容所の跡地は荒廃しても、ドイツとの絆は今でも脈々と続いています。本作品には、今まで知らなかったことが盛りだくさんに書かれています。知的好奇心を、いたく刺激してくれました。ただ、小説を読んでいるというより、文献を調べているような印象を持ったことは否めません。

収録されている「臥牛城の虜」は、大政奉還直後の、結城藩の内紛を描いた作品。佐幕派 藩主水野勝知の暴走を止めんと奔走する、恭順派 国家老 小場兵馬の命を賭した活躍が見所です。「甘利源治の潜入」は、尊王攘夷派志士に潜り込んだ、幕府の密偵の悲哀を描いた作品。恋愛模様を絡めたラストの切なさが印象に残ります。「臥牛城の虜」「甘利源治の潜入」は、これぞ、歴史小説!です。「二つの山河」とは異なり、純粋に物語として楽しめます。

  • その他の中村彰彦 作品の感想は関連記事をご覧下さい。