【本の感想】土屋隆夫『不安な産声』

本の感想 土屋隆夫『不安な産声』

1989年 週刊文春ミステリーベスト10 国内部門 第1位。

土屋隆夫『不安な産声』は、東京地検の検事 千草泰輔が活躍する千草検事シリーズの長編です。

同シリーズでは、『影の告発』が第16回日本推理作家協会賞受賞し、『盲目の鴉』が週刊文春ミステリーベストテン 1980年 国内部門第2位にランクインしています。いずれも味わい深い名作ミステリです。

前作『盲目の鴉』から、9年の歳月を経て出版された本作品は、人工授精がテーマです。シンガポールで顕微受精の成功にしたのが1989年だから、これに触発されて書かれたのかもしれないですね(人工授精の成功は、本作品では1799年の発表年になってますが1776年まで遡るようです)。

本作品は、強姦致死で逮捕された医科大学教授の手記という体裁でストーリーが展開されます。

人工授精の第一人者で、学界に名声を馳せる明和医科大学の久保伸也は、面識の殆どない女性を暴行の上、扼殺し逮捕されました。千草検事に、自身の犯行であることを自白する久保。しかし、残された体液の血液型の違いや、死体周辺の状況から千草検事は納得ができません。いらだつ千草検事に、久保は亡き姉の面影を重ねあわせ、真相を手記としてしたため始めるのでした・・・

久保の姉の死、20余年前に起きた殺人事件、そして久保が行った人工授精の施術。過去の複雑に入り組んだ因縁が、久保の現在の犯行へと一つに繋がっていきます。

冒頭から被害者と犯人が判明している倒叙小説であり、キーワードを小出しにして読者を引っ張っていく著者の巧みの技を堪能できる作品です。何故、殆ど見知らぬも同然の女性を殺害しなければならなかったのか。何故、罪を認めながらも真実を語ろうとしないのか。様々な出来事が久保の心理にどのような影響を及ぼし、犯行に至るのかをじっくりと描いていきます。

血液型の違いというメインとなるトリックは、久保の職業を念頭に置くと想像に難くないのですが、どうにも後味が悪いですね。久保の倫理観の崩壊は、著者の科学至上主義に対する警鐘ともとれるでしょうか。生殖医療と倫理の問題は、永遠不変の議論のテーマなのです。

久保が辿り着いた真相は、全ての行為を無に帰する絶望と孤独へと、久保を追い込んでいきます。過去の章、現在の章を経て、最終章の未来の章は、救いのなさだけが残ってしまいます。なんとも暗い物語ですが、叙情的なミステリが好みならば、本作品はおススメです。

なお、2時間ドラマでお馴染みの千草検事シリーズですが、本作品もドラマ化されています(1997年)。