【本の感想】遠藤秀紀『人体 失敗の進化史』

遠藤秀紀『人体 失敗の進化史』

遠藤秀紀『人体 失敗の進化史』は、動物の遺体解剖を通して、ヒトの身体の歴史を紐解くものです。

遺体科学の提唱者である著者だけに、ちょっと変わった角度から進化の過程を捉えていきます。身体の「設計図」という考え方を用いて、これを説明していくのです。動物は、基本的な「設計図」を持つ祖先がおり、次の段階では「設計変更」によって、新たな動物を創り出すとしています。その変遷を見ると、結果オーライの行き当たりばったりなものだと著者は言います。ここでは、脊椎動物の骨の獲得は、太古の魚=ヒトの祖先が、ミネラルを蓄積するためであるといった例示に興味を持ちました。

著者は、音を聞いたり、ものを噛んだりといったヒトの身体の「設計変更」がどのようなものであるかを、ワニの頭骨やサンマの開きを参照しながら解説していきます。ひたすら時系列でヒトの進化を述べられるより、他の動物と具体的に対比しながら見ていく方が理解が進みます。進化史の類が苦手な読者にもとっつき易いでしょう。

進化は、「設計図」を消しては書き換えの繰り返しですが、基本設計がしっかりしているがゆえに、部分の「設計変更」が可能なのだとしています。

身体が次の身体を得ていくときに、祖先の身体の強い制約に縛られながらも、祖先の身体の材料を使いながら、新しい形と機能を獲得していく、という感覚で進化の歴史を眺めるとよいだろう

さらに話題は、四肢や、臍、臓器の獲得を、シーラカンスやカメ、ハイギョ等を参照しながら展開します。進化の歴史を概観する時、長い長い年月を経ているとはいえ、結果として最良の選択がなされていることに驚かざるを得ません。そういう意味では、”失敗の進化史”というタイトルは、あんまりでしょう、と言いたくなります。ヒトの二足歩であるがゆえの設計上の工夫や、繁殖戦略は感動ものですらあるのにね。特に、心肺機能がヒトの生命を維持するための奇跡的な頑張りは、自身の身体への労りの気持ちを喚起させます。

終章は、著者の科学者としての主張です。学問が拝金主義に陥っている現状を嘆き、「文化としての動物学」の重要性を説きます。動物の遺体の「献体」という試みは興味深いのですが、著者の思い入れが強すぎて、この章だけぽっかり浮いてしまっているようですねぇ。