【本の感想】金城一紀『GO』

金城一紀『GO』

2000年 第123回 直木賞受賞作。

もう、三十年も前、社会人になって初めての同期会のことです。

地方出身者の自分ら数人が、渋谷の待ち合わせに30分遅刻して、待っていた同期の女性をえらく怒らせました。「東京じゃあ許されない!」の一言(もちろん携帯電話が普及していなかった頃のお話)。確かに申し訳なくはあるのですが、それより、”東京じゃぁ”という言葉がえらく引っかかりました。今思うと、いつも地方出身者だけでかたまっている自分たちが、”なんとなく”気にくわなかっただけなのでしょう。でも、こちらからすると、”田舎もののくせに”と言外にほのめかされているような気がしたのです。

この”なんとなく”=さしたる理由もなく、というのが、実にたちが悪いのです。多くの差別的な態度は”なんとなく”なされているように思います。民族差別ほど苛烈ではなくとも、出身とか学歴とか会社の格とか ・・・ 日常的に”なんとなく”差別したり差別されたりしているんじゃないでしょうか。”自分は何ものか”を他者との比較によって確立することに、自分たちは馴れ過ぎてしまっているのかもしれませんね。

金城一紀『GO』の主人公 僕=杉原は、在日朝鮮人から韓国籍に変え、「広い世界を見る」ために日本の男子校に通っています。この杉原の選択は、日本の社会の中で、厳しい現実を突き付けてきます。在日朝鮮人からは民族反逆者で、日本人からは在日韓国人というのが杉原に貼られたレッテルです。入学当初から目を付けられ、杉原を倒さんと次々に挑戦者が現れるのです。

日常の様々な場面で痛感する、”日本人ではない”ということ。それは、杉原が、いくら歴史や生物学、遺伝学を学んでも、説明することができない”なんとなく”差別的な意識をはらんでいます。つきあい始めた女子高生 桜井に、自身のルーツを告げることができない杉原。杉原は、桜井に好意を寄せれば寄せるほど、差別という檻に閉じ込められてしまいます。嫌悪しながら、同時に恐れてもいるのです。友人の死、恋人の躊躇い・・・、杉原は迷いの中にいつづけます・・・

本作品は、民族差別というものが根底にはあります。でも、それは逆境というひとつの制約の形を表しているのであって、これを殊更に注目すべきではないのかもしれません。逆境に押し潰されそうになりながら、それを跳ね除けるバイタリティとタフさ、その快活さを杉原の中に見るべきなのです。自分らの中の逆境とか重ね合わせるならば、民族差別を分かったフリしかできない者にとって、共感を表明することはできるのだと思います。

23戦無敗の男 杉原とオヤジの関係は、ケレン味ありですが、理想的な親子としてアツイものが込み上げます。自分の息子たちには、杉原のようなマインドの男になって欲しいんだよなぁ。

ちなみに、自分らを面罵した入社同期の彼女は、随分後になってから、千葉出身だってのがわかったんだっけな。

本作品が原作の、 近藤佳文 画 漫画『GO』 はこちら。

本作品が原作の、2001年公開 窪塚洋介、柴咲コウ 出演 映画『GO』はこちら。

2001年公開 窪塚洋介、柴咲コウ 出演 映画『GO』

原作にほぼ忠実に映画化されています。脚本は宮藤官九郎。窪塚洋介の反骨精神溢れるツラ構えが良いです。山崎努のオヤジ役もぴったり。

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