【本の感想】春日武彦『ロマンティックな狂気は存在するか』

春日武彦『ロマンティックな狂気は存在するか』

今の世の中、人の狂気を感じさせる出来事は、普通にあるように思います。あおり運転で激高している映像は、まさに狂気の沙汰でしょう。自分は、この歳になるまで、こりゃぁヤバいなぁというシーンに何度か出くわしています。元来チキンな性分なので、暫く飯が喉を通らない事もありました。

狂気は、それを目の当たりにした者を不安に陥れます。一方では、文学、芸術、歴史等で語られる美的な要素と結び付いて、薄倖の天才というイメージを喚起します。

このあたりを掘り下げたくて、春日武彦『ロマンティックな狂気は存在するか』を手に取りました。

本書は、正常と狂気に境目はあるのか、という問題提起から始まります。ここで著者は、狂気のパターンは類型化できるものであり、精神分裂病とイコールの精神疾患として位置付けています。

詩的な創造性という狂気のもつイメージ。それと同時に我々が抱く狂気への恐れ。著者は、狂気の持つ、こういう多様性について注意を喚起します。狂気という表現の曖昧さは、確かに天才的とか破天荒とかの文脈でも使ったりしますからね。いくつかの症例や、様々な文献(文学からの引用も含まれます)を用いて、バッサバッサと切り捨てながらこの点について論を展開していきます。

著者の語り口に(多少)毒を含んでいるので、これを不快と感じるか、痛快と感じるかで本書の評価が変わってしまいそうです。

興味深かったのは、「第6章 文学的好奇心をそそる精神症状」の二重人格、恋愛妄想、記憶喪失、憑依現象、ドッペルゲンガー、幻影肢、離人症、既視感、替玉妄想の解説です。著者は、これらの発生過程を考察し、狂気とは別の枠組みで捉えています。

著者は、狂気は基本的に状況や環境の変化だけでは治らず、孤独のうちに精神内部が自律的に崩壊していくプロセスと結論付けています。明言はされていませんが、結局、ロマンティックな狂気は存在しない、ということになるのでしょうね。

と、理解が進んだとしても、自分のチキンな性分は如何ともし難いのですが。