【本の感想】丸山正樹『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』

丸山正樹『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』

丸山正樹『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』は、手話通訳士となった元警察事務方が主役のミステリ作品です。

本作品を読んで、「ろう者」に対する「聴者」、「コーダ(Children of Deaf Adults)」などの用語の意味や、聴覚にハンディキャップを持っている方々の文化的な側面への理解が、非常に少ないことを認識しました。例えば、「口話教育」正確には「聴覚口話法」と言い、ろう学校では手話は音声日本語獲得の障害となるとして避けられていたこと、手話には、昔からのろう者に使われてきた非手指動作による「日本手話」と、手の動きに日本語を当て嵌める「日本語対応手話」があること、などは本作品を読まなければ知り得なかったでしょう。

ミステリとしては、詰め込みすぎの感は否めないものの、混乱することなく読み進められる良書です。

元警察官事務方の荒井尚人は、ハローワークの勧めで手話通訳士のバイトを始めます。荒井は、ろう者の両親と兄の家族の中で、ひとりだけ聴者(聞こえるもの)として育ちました。子供を欲しがらなかったため妻 千恵子と別れ、ある出来事から警察を辞めざるを得なかったという設定です。現在は、五歳の子を持つシングルマザーの警察官 安西みゆきと付き合っています。

荒井の育った家庭環境や、警察から爪弾きにされた経緯は、新井の人生を紐解く上で重要なポイントです。ひとりだけが聞こえることで味わう苦悩というのは、これまで理解が及びませんでした。著者は、ここを上手く表してくれています。警察から忌み嫌ている事情は、じれったいほどに明らかになりません。荒井に捨て鉢なところが見られるのは、生い立ちとこのことが原因になっています。本作品は、様々な出来事が錯綜しており、それぞれの何故?が知りたくて、ページを捲るスピードがアップします。

ある日、荒井のもとを刑事課強行犯係 何森稔が訪ねてきます。何森は、ろう児施設『海馬の家』の理事長 能美和彦を刺殺したと疑われる門奈哲郎の行方を追っています。門奈は、17年前に和彦の父で前理事長 能美隆明を殺害し、最近まで服役していました。荒井は、警察官時代、ろう者である門奈の取り調べに、通訳として立ち会っていたのです・・・

本作品のメインストーリーは、この殺人事件です。窃盗事件の法廷通訳を務めるも、その結果に無力感を抱いていた荒井。荒井は、17年前、でっち上げの調書で刑が確定した門奈と、その家族の姿を思い起こし、今、自ら門奈の捜索に動き出します。

ここからは、ストーリーが枝葉に分かれていきます。この中では、障がい者リバビリテーションセンター 冴島素子と、日本途中失聴・難聴協会会長 石黒貴行のディスカッションは、読み応えがあります。冴島の、ろう者を「独自の言語と文化を持つ集団」と捉えなおすという主張は、実に新鮮です。所々、ろう者が受ける差別的なシーンがありますが、著者は、ネガティブな部分にだけにスポットを当てていないので、好感が持てるでしょう。

荒井は、捜査の過程で、何森の威圧を受けたり、みゆきの元夫 米原智之の嫌がらせにあったり、ろう者を支援するNPO代表手塚留美と婚約者 半谷議員の心配事に関わったりを経て、ついに門奈の行方を突き止めます。そして、荒井が、そこで見たものは・・・

荒井が知ることになるのは、17年前の事件からの悲し過ぎる真相です。だからこそ、ラスト シーンは、美しさを感じるのです。意外な人物が、実は・・・のようなサプライズもあり、道に迷い続けた荒井の、これらを指し示す感動的な締めくくり方を見せてくれます。

なお、本作品は、シリーズ化されており『慟哭は聴こえない』『龍の耳を君に』と続きます。