【本の感想】蔵前仁一『ホテルアジアの眠れない夜』

蔵前仁一『ホテルアジアの眠れない夜』

海外でのひとり旅を経験した人に軽い羨望を覚えてしまいます。「東欧でひと月くらいバックパッカーしてました」ぐらい言われると、仕事が多少できなくても暫く頭が上がりません。

自分の基本姿勢は、麻雀の点数計算と、旅行は誰かに任せておけば良い、なのです。海外出張も同行者に頼りっぱなし。一度、上海から一人で帰国しなければならなくなって、パニックになったことがあります。日常から離れると、どうも小心ものの本質が顔を出してしまうらしいのです。コミニュケーションで失敗したくないという見栄っ張りなところもあるのでしょう。

蔵前仁一『ホテルアジアの眠れない夜』は、旅行作家がアジア各国を巡るビンボー旅行コラムです。

如何に金を使わず旅をするかというビンボー旅行至上主義ではなく、様々な旅の楽しみ方のうちの一つとして、節約しながらの旅を紹介してくれます。旅とはこうあらねばならぬという原理原則を押し付けてこないところが、かえって著者の豊富な経験からくる余裕を物語っているように思います。

初版が1989年なので、さすがに各国の情勢も変わってきています。今でもネパールのビンボー旅行が、飛行機代、その他雑費を除き二週間で三千円でできるでしょうか。本書の中森明菜さんが大人気という記述をみると隔世の感は否めません(大変失礼しました)。

でも、旅についての著者の思いは少しも古びていません。旅によって自分自身を知るという著者。

自分の「日常」は自分がいるそこにしかない。そういうことを、旅をしていて痛切に感じるようになった。

といいます。自分は、日常を一ヶ所に固定してしまったために、そこから逸脱することが怖くなっているのでしょう。

著者は、マニラ湾の夕陽、ガンジス河に沈む夕陽、中国大陸の地平線に落ち行く夕陽よりも、ふと東京の夕陽が一番美しいと感じたとき、今までそれを阻んできた自分自身の心の貧しさに思い至ります。何かに依らず自分の心の中に自分だけの一番を持つのは大事なことなのです。

著者がいうとおり、本書には書籍やテレビ、映画を見ればわかることが多く書かれています。

いい旅ができるのは、ガイドブックを持つか持たないかではなく、いい情報が手に入るかどうかではなく、はたまた独りで放浪しているのかどうかではない。いい旅だなあ、と感じられるかどうか。旅をするのにもっともいい情報源は、何といっても旅行者。

僕にとって大切なのは、様々な角度から世界を眺められることである。そして、地球というもうひとつの、しかし多様なモザイク世界をきちんと自分の視野に入れられれば、と思うのである。

「世界」はいいことばかりではないが、いろいろな人が暮らし、様々な価値観がある。世界を旅して、そこで生きるということは、その多様性を認め、尊重していくことである。それは翻って、日本で生活していく場合にも当てはまることではないかと思う。

旅に出たい。僕はいつもそのことばかりを思いつづけている。それはおそらく、自分自身を見失わないためなのかもしれない。

こういう旅についての精神は、世界をさんざん歩きまわった著者だからこそ説得力を持つのだと思います。これからも世界をひとり旅しないであろう自分にとって、感慨深いものになったのは確かです。

余談だけれど、自分は宿泊施設に清潔さを第一に求めるので、本書に紹介されたところには行くことができません。虫が怖いからなのです。ミミズをわしずかみにし女郎蜘蛛を闘わせていた子供の頃に比べると、随分上品になったものです。そう考えると、今の僕の日常というのは相当狭っ苦しいものなんだろうなぁ。