【本の感想】エドワード・T・ホール『かくれた次元』

エドワード・T・ホール『かくれた次元』

ソーシャルディスタンスという語が定着してきた今日この頃です。

そもそも、人間は空間(自己と他者、自己と環境)をどのように利用しているのでしょうか。エドワード・ホール(Edward Hall)は、このことについての観察と理論をプロクセミックス名づけ、『かくれた次元』(The Hidden Dimension)(1966年)にて解説していきます。

動物における個体間のスペーシングについては、わりと知られていると思いますが、一定の空間内の個体密度が高くなる=シンク状態になると自死に至るものや、生体としての異常を発現するものなどを例示していて興味深いですね。もっとも、ヨーロッパに流行したペストが、人口密度の高さからくる伝搬速度以外、つまり生体としての機能の結果のような記述は、強引さを感じてしまいます(自分の解釈の仕方かもしれませんが)。

遠距離受容器(目、耳、鼻)、近距離受容器(筋肉、皮膚)が、空間をどのように知覚、形成していくのかに論がつづきます。ここでは、同じ文化に属するものと、異なる文化に属するものの知覚的世界に差があることが触れられています。なるほど、同じ文化でさえでも、ひとつのものが他者と違う解釈である場面というのはよくあることです。

前半はどちらかというと科学的な側面が強いけれど、後半は文化的な面に重点を置きながら語られていきます。ドイツ人、イギリス人、フランス人のプロクセミックス。日本とアラブ圏のプロクセミックス。それぞれが文化や社会環境において形成される空間への知覚が、他者とのコミュニケーションギャップを発生させているという視点が面白いですね。ただ、著者の自らの体験から語られたり(文化人類学的なアプローチなの?)、日本の番地が建物のたった順にふられているといった誤った情報に基づいているので恣意的なところが否めません。「公共の場で押したり突いたりすることが、中東文化の特徴である」に象徴されるような、日本人からみると考えられない行動原理が、アラブ人の空間に対する知覚にねざしているとの主張には、ちょっと首を傾げてしまいます。

都市の危機的な状況を危惧する著者。「人間は文化というメディアを通してしか意味のある行動も相互作用もできない」とし「われわれがどのような延長物を創り出しているかにもっと注意を払う義務」があるといいます。これは納得です。

この手の書籍は読んだことはなかったけれど、ひとつのものの見方として勉強になりました。