【本の感想】永井均『転校生とブラックジャック―独在性をめぐるセミナー』
私は、どうして私なのか。私は、どうして、あの人ではないのか。ふと、そういう思いを抱くことはないでしょうか。自分は、何故、自分という心理的性質を持っているのかと、漠然とですが考えてしまうことがあります。
本書は、「私が私であること」はどういうことか(独在性)について、対話形式で書かれた哲学書です。先生と12人の学生が、提示された思考実験から議論を重ねて、哲学していく体裁となっています。
一つは、大林宣彦監督の映画『転校生』と同じシチュエーションで、意識が入れ替わった太郎と次郎(なぜか男同志)を取り上げます。外科医のブラック・ジャックが、互いの脳の記憶を交換する手術を行うというもの。術後、果して、太郎(次郎)は、本当に太郎(次郎)なのか、という問題提起です。
もう一つは、人体をスキャナでコピーし、火星へ輸送する遠隔輸送機があるという前提で、コピーした後に、そのまま残ってしまった私と、火星に行った私は、どちらが私なのか、という問題提起です。
もちろん答えがあるわけではありません。本書は、哲学的議論を交わし、深化させていく過程を読み取っていくべきものです。
ただし、ここで行われる哲学的議論は、なかなか高度です。自分の拙い知識レベルと、思考回路では、精読していかなければ、内容に付いていけませんでした。本書で頻出する(哲学的素人には)聞き慣れない用語についても、調べながら読み進めなければなりません。それでも、概ね理解という程度なのです。読了した時の満足感は高く、今後、自己研鑽する中で、折々に、再読すると新しい発見があると思いました。
著者はあとがきで、
このような問題が解けたところで、世の中に劇的な変化が起こるわけでも、人類が今より幸福になるわけでも、なんでもない。
と言います。でも、哲学するということは、人の意識を向上させ、心を豊かにするのではないでしょうか。
本書の哲学的議論の要諦や、先生のアドバイスは、目を見張るものがあります。いくつか紹介しましょう。
質問は初歩的なら初歩的なほどいいね。かつて誰ひとり持つことができなかったほどに初歩的な問いを持つことができれば、もうそれだけで哲学したことになると思うよ。
この現実がどうなっているかというなら、実験でわかるよ。でも、どうなっていざるをえないかは思考実験でしかわからないんだ。さまざまな思考実験を積み重ね、組み合わせることで、そこにわれわれの思考の限界と世界のあり方の限界が同時に示されるんだよ。
哲学するなら、まず最初に「とってはばなし」(注 誰々にとってはというもの言い)を撥ね返さなきゃだめさ。
思考実験として面白そうなのは、ブラック・ジャックというより、『NARUTO-ナルト-』の多重影分身の術ですかね。影分身にそれぞれ修行をさせ、スキルアップを短時間に行うという件。この時のそれぞれのナルトは、果たしてナルトそのものなのでしょうか。そして、一つになったナルトは、ナルトなのでしょうか。哲学してみましょうか。