【本の感想】シャンカール・ヴェダンタム『隠れた脳 ― 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』

シャンカール・ヴェダンタム『隠れた脳―好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』

なぜ、あんな事を言ってしまったのか、なぜ、あんな事をしてしまったのか。突然、思ってもみない行動をとってしまった覚えはないでしょうか。自分は、状況が良くない方向へいってしまって、その結果に慄然することさえあります。一度、口から出たものは、戻すことはできません。そして、後悔とともに、消えない苦い傷跡を残してしまうのです。

シャンカール・ヴェダンタム(Shankar Vedantam )『隠れた脳―好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』(The Hidden Brain)は、気づかないうちに行動を操るさまざまな力を”隠れた脳”と呼び、その無意識のバイアスによる影響力を、具体的な事例をもとに解説するものです。ヒトの不合理な経済活動を研究する行動経済学においても、心理的なバイアスが意思決定を左右してしまうことを取り上げるけれども、本書は、日常に起こりうる広い範囲のヒトの行動全般に着目しています。

意識的な脳がパイロットだとすれば、隠れた脳はオートパイロット機能である。パイロットは常にオートパイロットより優先するが、パイロットが注意を払っていないときはオートパイロットの出番となる

意識的な脳は、新しい経験に合理的、分析的に対処し、隠れた脳は、おなじみの経験を効率的におこなうためヒューリスティックスに対処する。よって、ヒトは、せっぱつまった状況におかれたとき、隠れた脳が主導権を握り、意識的な脳にとっては思ってもみない行動をとると言うのだ。

なるほど、震災後の日本の政治家に、暴言ともとれる失言が多い理由が良くわかります。もちろん彼らの責務では、隠れた脳は、高邁な理性=意識的な脳で制御すべきなのであって、同情はできません。

著者は、サイエンスライター。象牙の塔の住人ではないだけに、専門用語が廃された、誰にでも理解しやすいものになっています。各章のテーマとなる事例では、内容もさることながら、ミステリさながらの語り口でページを繰る手を止められなくなるでしょう。

自分が、周囲で観察される光景として、強く印象づけられたのは、第5章 男と女は入れ代らなければわからない(ジェンダーのバイアス)と、第6章 なぜ災害時に対応を誤るのか?(集団のバイアス)

第5章では、いわゆるガラスの天井の問題を扱っています。性別を変えて暮す人々のインタビューから、女性に対する無意識のバイアスで、不当な差別を与えていることを実証しています。

第6章では、重大な危機に陥ったときの隠れた脳の働きを述べています。まわりの人たちとの共通の理解を得たいという願望の結果として、集団が大きくなるほど動けなくなるのだと主張しています。

ヒトの行動に、隠れた脳の存在があると認識するのは有益です。意識下の裸の自分自身ということになるのだけれど、それを理解した上で、理性の力を上手に使っていきたいと思います。本書は、癒しにも似た気づきを与えてくれる良書と言って良いでしょう。

残念な点を一つ。本書は米国事情の精通していないとわからない二章分を削除しているとのこと。翻訳短編集でたまにお目にかかるのだけれど、自分は、著作物としての瑕疵が存在しているように感じてしまうのです。翻訳が素晴らしいがゆえにここが難。もっとも、これは僕の隠れた脳の作用かもしれないな。