【本の感想】モブ・ノリオ『介護入門』

モブ・ノリオ『介護入門』

2004年 第131回 芥川賞受賞作。
2004年 第98回 文學界新人賞受賞作。

モブ・ノリオ『介護入門』は、 マリファナ片手に、祖母の自宅介護に熱意を傾ける<俺>の日々がつづられた作品です。

ポップ(というかヒップホップ?)、かつ攻撃的な文体で、おちゃらけてるのやら、怒ってるのやら、ただ毒づいているだけなのやら、判然としません。<俺>は、やたらとオダを上げ、世の中斜めに見ている典型的な輩に見えますが、その中にも、自分自身に対する鬱屈したもどかしさを文学的に感じ取ることはできます。

ばあちゃんの世話だけを己の杖として、そこにしがみつくことで生きてきた。それ以外の時間、俺は疲弊した俺の抜け殻を持て余して死んでいる。

この<俺>の呟きは、介護に生活の全てを捧げることで、自己の存在価値を確かめようとうする気持ちの表れと受け止めました。これは、一日の生活の殆どが、仕事への割合に占められている勤め人にも当てはまるでしょう。時間や労力を費やすことで、そこにいる意義を自身で認めてしまうのです。

自分は、我が親の介護を経験しているから、本作品で著者が言わんとすることは実感できます。先の見えない中、怒りや諦めや悲しみが燻ぶり続け、自身の無力さへの落胆とを引き換えに、他者に対しては厳しさを増していくという現実です。それがゆえに、本作品でつづられている一言一句に、首肯したり首を捻ったりできるのです。

本作品の書きっぷりには、読者を煙に巻くような奔放さがあります。しかし、これが、読者の想像力を削いでしまっているのは否めません。言葉の奔流に惑わされず、奥底にあるものに深く共感(または反感)できるのは、介護の現場を知っている者に限定されてしまうでしょうか。

本作品の途中で挿入される<俺>が語る介護入門は、日々の経験から導き出したような金言ではありますが、これは、介護が無縁であっても、読者それぞれの人生へ翻訳してみると納得感が高いはずです。

さて、これは小説か?と訝ってしまうタイトルは、狙いのようでもあります。 芥川賞のインタビュー映像を見た方はご存知かもしれませんが、著者は、会見席にダイブしスベり、さらに 「どうも、舞城王太郎です」 の第一声でスベりと、なかなかの強者なのです。

収録されている「市町村合併協議会」「既知との遭遇」は、文字を目で追っただけで読み終えてしまいました。何にも残らず ・・・。