【本の感想】三浦つとむ『弁証法とはどういう科学か』

三浦つとむ『弁証法とはどういう科学か』

自分が高校生の頃、倫理社会という授業がありました。

連綿と続く世界の思想史に触れる時間ですが、担当教諭の専門が日本史なので、おざなり感は否めませんでした。最も、当時は、マルクス=レーニン主義を語れる学生は皆無でしたし、テストは教科書を鵜呑みにするだけで事足りました。例えば、ヘーゲル=弁証法、のように記号化、等式化して憶えれば良いのです。

エヴァンゲリオンの主題歌「残酷な天使のテーゼ」を耳にすると、テーゼという語が気になります。ドイツ語の命題の意で、自分のさりげなく使って見たいワードのベストテンに入っているのですが、その思想を理解していなければヘナチョコです。

というわけで、言語学者 三浦つとむ『弁証法とはどういう科学か』を手に取ってみました。

結論から言ってしまうと、本書はヘーゲル弁証法を紐解くものではありません。「哲学とか宗教とか名のる古くさい迷信のとりこ」と言い切る通り、著者は、哲学不要論者です。

よって、本書は、弁証法を科学に生かしていく立場で論を進めていきます。著者は、弁証法を「世界全般の一般的な連関・運動・発展の法則についての科学」と定義します。加えて、法則を哲学するのではない、と述べるのです。

本書の「弁証法はどのように発展してきたか」の章では、思想史を概観できます。ここで、自分は、弁証法に思想的な変遷があって、ヘーゲル弁証法はその過程でしかないことに気付きます。

が~ん。記号化、等式化で思想を学んではいけません・・・

著者は、精神が物質より先行するという観念論的立場のヘーゲル弁証法ではなく、あくまでマルクスの唯物弁証法を(基本的に)支持しています。著者が、観念論に基づく誤謬を、曖昧さを残さずバッサリと切り捨てているのは痛快です。反面、著者がマルクス主義者であるからなのでしょうが、資本家や労働者を引き合いに出す例証は、すんなり呑み込むことが難しく、繰り返し読むことになってしまいました。

唯物弁証法は、1.量から質への、またその逆の転化の法則、2.対立物の相互浸透の法則、3.否定の否定の法則 の三法則に帰着します。著者は、それぞれがどいういことか、について章毎に論考していきます。(三法則をここで記述するのは、長くなるので止めておきます)

これを読み進めると、形而上学的な点のつながりが発展ではなくて、矛盾を内包しながらもそれを原動力とするのが発展である、と捉えられます。なるほど、弁証法を哲学として終わらせるのでなく、科学として掬い上げることで明晰さを保ち、未知の分野を切り開いていくことができる、という主張になるのです。

本書は、文章が平易なので一読で分かったような気にはなります。自分が物事を見るに当たっての、ヒントを与えてくれたようにも思います。しかし、自分は観念論的な考え方にも惹かれるので、深く理解するまでに到達していないのかもしれません。折々に再読したり誰かと意見を交換する必要がありそうです。

結局、テーゼを自分のものにすることは、まだまだ出来そうにないんだよなぁ(本書には一言も現出していないし)。