【本の感想】瀧澤美奈子『150年前の科学誌NATUREには何が書かれていたのか』
2020東京オリンピックのマラソン会場が、東京?札幌?ですったもんだです。札幌市民としては、どこで開催するのか決着するかよりも、札幌に対する国内のネガティブな論調が気になるところ。これは、もらい事故でしょう。オリンピックの商業主義ってどうよ?は、その道の論客にお任せするとして、オリンピックが始まった当初の理念とは随分隔たってしまったんですね!、は誰もが思うところでしょう。
「Nature」は、世界で最も権威ある総合学術誌です。
瀧澤美奈子『150年前の科学誌NATUREには何が書かれていたのか』は、「Nature」がどのような理念が掲げられて出発し、どのような道のりを歩んできたのか、雑誌制作に関わった科学者らの具体的な活動を通して明らかにしていきます。オリンピックも同様ですが、物事の普及に努めようと専心する人々の高邁な精神は、動き始めた当初においてこそ、多くを感じ取ることができるのかもしれません。
「Nature」は、1869年 天文学者ノーマン・ロッキャーによって英国で創刊されました。30年赤字が続いたそうで、現代のベンチャー企業の先駆けのような存在です。その道の専門家(この頃、科学者という職業はなかったとのことです)ではなく、一般大衆を第一読者と想定していたのは興味深いですね。
「カッコウの卵は何色か?」というテーマで、専門家と市井の愛好家が、「Nature」の場を借りて論争している様が紹介されています。テーマもさることながら、現代のSNSぽいユルさが印象的です。一般大衆に向けてという当初の理念は、現在では失われてしまったのかもしれません。
本書は、チャールズ・ダーウィンの進化論が投げかけた波紋について触れています。知識人であってもこれをタブー視する宗教観は、日本には見られない根の深い頑迷さがあります(英国の周辺諸国の方が先んじて進化論を受け入れたとか)。女子の 高等教育への賛同を含め、「Nature」の科学的な立場は、旧弊な考えを打破しようという精神に貫かれているようです。
150年前の「Nature」は、研究に対する公的資金投入の是非、 ロイヤルフリー大学創設までの女子医学生の苦難、地球三周半を三年かけたチャレンジャー号の冒険の軌跡、エドワード・モースの大森貝塚発見にまつわるゴタゴタ、日本に先端的な工学教育機関を設置する試み等、歴史の一コマを見守っていました。それぞれのトピックスが一冊の本に値する内容なので、 記載内容はさらりとしたものですが、感銘を与えてくれます。
本書を読み進めるには科学的な知識は不要です。著者は、150年前の「Nature」にならって対象となる読者を一般人としているのでしょう。当時の人々の科学に対する情熱が余すところなく伝わる労作となっています。
今や、「Nature」は、科学者に名声を与える権威を持つようになりました。さて、オリンピックはどうよ?