【本の感想】川喜田二郎『発想法―創造性開発のために』
アイディアを整理する手法としてわりとポピュラーなKJ法。議論が沸騰し発散し始めると、たまにKJ法を使って収束に持っていこうとする人を見かけます。使う人も含めてKJ法を正しく理解していないのか、なんとなくまとまったような気になっても、どうもしっくりきません。知っているようで、実はよく知らない国産の発想法=アブダクション。それがKJ法なのです。
『発想法―創造性開発のために』は、KJ法の生みの親である文化人類学者 川喜田二郎先生が、ご自身の研究成果としてKJ法をわかりやくまとめたものです。実践編というより導入編の位置づけになるでしょうか。
そもそもKJ法は、測定可能な実験科学ではなく、測定不可能な野外科学に資するために考案されたのだといいます。フィールドワークから集めた種々雑多なデータから何が導き出せるのか、なのです。実験科学が仮説の検証ならば、野外科学はその仮説をどうして思いつけばよいかということになります。そのためには、枚挙だけではなく統合を見出していく構造づくりが必要だと説きます。
つまり、ブレーンストーミングでアイディアを列挙したとしても、同種のものにまとめるだけでは意味がなくて、異質のものの組み合わせから何が発見されるかを見なければなりません。KJ法(もどき)を使っても、当初から想定内のありきたりの結論しか出てこないのは、ここが分かっていないからなのだと思います。発想を促すのがKJ法の精神なのであって、図を用いてデータを整理整頓することが目的ではないのです。本書を読んで、自分自身、全く勘違いしていたことをあらためて認識させられました。
さらに、KJ法が客観性を重視していないのには驚かされます。同じモノでも、人によって、そのときの状況によって、空間配置が異なるのであって、これは主観に支配された歪なものではないといいます。本書では花瓶を例にとっているのですが、確かに上、下、側面からの見え方が違っても花瓶の実体に相違はありません。なるほど。理解の形にバリエーションが多いと発見の可能性が高くなるのだとすれば、あえて客観性という枠をはめることはよろしくないのかもしれませんね。
KJ法は、図解を文書によって補完します。文書化手続きは分析過程が含まれていますが、どの方向に分析を進めるべきかに暗示を与えるのが発想法といいます。ここまでくるとスキルが要求されるようになります。本を読んで、はいできました とはなりません。そもそもアイディアの出発を促すような基本的なデータ群=Basic Abductive Dataの粒度を規定したり、異質のデータの関連性を見極めたりするのも訓練が必要じゃないでしょうか。中途半端な理解では、KJ法を実践的に利用するのはなかなか難しいというのが実感です。ボトムアップとトップダウンの違い、グループワーク向きかどうかはあるにしても発想法としてはマインドマップの方がとっつきやすいのかもしれません。
本書はKJ法がなぜ日本から誕生したかに触れ、日本人とアメリカ人の比較文化論をすすめていきます。アメリカ人はものごとの一つ一つの概念を鮮明な輪郭で取り出す理論信仰。対して日本人は輪郭がない実感信仰。よって、親近性によるグループ編成が日本人は得意なのだそうです。日本人は息の短い創造性=俳句的創造性は高いが、巨大な建造物を創りだすという創造性は低いともいいます。本書が出版された1967年当時のように、現在をこのような紋切り型で論じることができないと思いますが、考え方としては面白いですね。
日本的発想法の原点を振り返ってみたい方にはおすすめの一冊です。ただ、KJ法が、すべての思索活動における万能薬である、というトーンには少々、辟易してしまうかも。