【本の感想】髙樹のぶ子『光抱く友よ』

髙樹のぶ子『光抱く友よ』

1983年 第90回 芥川賞受賞作。

髙樹のぶ子『光抱く友よ』は、良いところのお嬢様であり品行方正な相馬涼子と、やさぐれ感むんむんの松尾勝美、二人の女子高生のひと時を描いた作品です。

不良少女とお近づきになった優等生が、人生の悲哀を垣間見るという、ありがちなプロットですが、友情よ永遠なれ!とならないのがリアルですね。本作品は、二人が近づき、分かり合えたかに思えた束の間を切り取っています。

勝美とアル中の母 千枝との激しいいざこざを目の当たりにし、慄然とする涼子。涼子と勝美の生い立ちの、圧倒的な違いを印象付けるシーンです。ある日、そんな親子の仲睦まじい姿をみた涼子は、見てはいけないものを見てしまったと、締めつけられるような思いを感じます。辛抱できる辛さと、できない辛さがあるという勝美。涼子と勝美の、複雑な感情の入り乱れる描写が良いですね。

涼子は、教師 三島に憧れを抱いていました。ところが、勝美との親交が深まるにつれ、徐々に三島の俗物さに気付いていきます。境遇の全く異なる勝美と触れ合うことによって、世の中を別な角度で見るようになるのです。涼子の視野が広がりを、エピソードとして端的に表しています。

涼子は、口止めされていた、勝美の千枝への隠し事を、つい耳に入れてしまいます。涼子と勝美の友情らしきものが破たんする原因であり、その瞬間の、勝美の怒り、悲しみ、憐れみが入り混じった惜別の表現が秀逸です。著者は、この年頃の友情が、美しさだけではなく、脆くてちょっと残酷であることを巧に著しています。壊れた友情を実感する涼子の姿が印象的です。とても地味な作品ですが、多感な時期を過ごした読者の共感は得ることができるでしょう。

本書に収録されている『揺れる髪』は、自我が芽生え始めた娘に困惑する母親が、自身の亡き母に思いを馳せる日々を(これは、あるある!)、『春まだ浅く』は、体を許さない婚約者に理解を示すも、彼女の友人によろめいてしまう男を描いた作品です。『春まだ浅く』の高邁な理想を掲げながらも、ふと下世話な気持ちで揺れ動き、そしてあろうことか婚約者へ顛末を手紙でしたためるという、男のへなちょこぶりは、とっても情けなくてイヤ~な感じです。

女はね、自分でもその種類が判らないくらい、沢山の知恵を持って生まれてきてるのよ、その知恵、どういうわけか、頭には宿ってないんだな、知恵というより、反応と言った方がいいのかもしれないわ。

「春まだ浅く」