【本の感想】吉川節子『印象派の誕生 マネとモネ』
ン十年前、上野の美術館でモネの<<睡蓮>>を見ました。当時付き合っていたカノジョが印象派の画家が好きで、お伴したのです。自分は美術に全く興味がなかったので退屈極まりなく、カノジョはのそんな自分の態度にえらくご立腹でした。いたく反省し、絵画が分かる男になろう!、と誓うのですが、さして進歩もないまま今日に至ります。
ということで、今更ながら印象派とは何んなのさ?を知るべく吉川節子『印象派の誕生 マネとモネ』を読んでみました。
本書は、19世紀後半フランスに誕生した印象派というムーブメントを、その中心人物であったマネとモネを通して概観するものです。
第1章「印象派の成り立を見てみよう」では、印象派一派(?)が、当時の伝統的な西洋絵画に反旗を翻すがごとく、美術界の批判もなんのその、サロンの落選作で独立した展覧会を開催したりと、とんがった存在であったことが分かります。
第2章「スキャンダルの真相」の、ナポレオン三世の逆鱗に触れた<<草上の昼食>>のX線写真から、マネの「確信犯」説を論じているあたりは面白いですね。裸婦に求められる神話性を、あえて卑俗とすることで淫らを持ち込むという挑発行為。大スキャンダルに発展したのですが、マネは、保守的な固定観念を嘲笑しているようです。
五一歳で他界したマネは、生涯を賭して、近代社会の本質に迫ろうとしたのである。
この一文にマネの気骨があらわされています。
第3章「マネのリアリズム」は、マネが近代社会に抱いた”印象”とは何かが述べられます。<<鉄道>>からは、人間の中に拡がる無関心に気付き、その実態を描こうとしたのです。著者は、マネは近代化が進むパリにおいて、退化していく人間性、空疎となっていく人間関係を見つめ続けたと結論づけています。なるほど、マネの精神性から作品を見るならば、ポートレイトのような平板さから奥行きが出てくるように思えますね。
第4章「光の画家モネ」は、戸外制作にいそしむモネの、光の画家といわれる所以が紹介されています。アトリエ船を作り、水面の変化を目の当たりにしながら絵を描くモネ。喜々として自然の表情を切り取る姿を伺い知ることはできるのですが、モネの精神性がこの章では述べられてはいません。第3章に比べて薄っぺらく感じますか。
第5章「マネの「印象」とモネの<<印象>>」では、章のタイトル通り二人の印象派の画家にとって、”印象”とは何かを述べています。マネが人間の心の闇へ踏み込んでいるのに対し、モネはあくまで光と大気に基づいた視覚的な世界なのだといいます。先達としてマネを尊敬しながら、マネを越えようとし独自の印象派を作り上げていくモネ。後世に名を残す人々は、道を切り開いていく情熱があってこそなのです。
さてさて、当時のカノジョは今頃どうしているでしょう。やっと、印象派がなんたるかは分かったような気がするよ。あの時はごめんなさい。