【本の感想】エーリッヒ・フロム『愛するということ』
エーリッヒ・フロム(Erich Seligmann Fromm)『愛するということ』(Die Kunst des Liebens)(1956年)は、愛は技術であり、ゆえに学習を必要とするのだと説き、愛の論理と愛の実践について論を展開する哲学書です。
まず著者は、人の実存が他者からバラバラに分離されたものだから、そもそも、人にはこれを克服したい欲求があるのだと述べます。この欲求は、愛による他者との融合、つまり合一をもって成就する、と主張します。ここで興味深いのは、現代資本主義の個性を失った平等との違いです。これは、合一ではなく同一を意味するとしています。確かに、画一的であることでは、我々の孤独を癒せないのは自明です。支配や所有に頼るのではなく、あるがままに一つとなるのは、人の本質としての理想なのでしょう。
自分自身について言えば、愛を意思と捉えて、これを活動的に与え、生命を他者に委ねる決断の行為とするのは、対象を限定すれば可能とは思います。例えば、我が子が、対象に該当するでしょう。しかしながら、他者を愛すると言えるなら、他者を通して世界を愛し、自身を愛すると言えねばならない、となると相当ハードルが高くなります。そう、著者の言う愛の技術は、とっても高度なのです。果たして、学習をもって研鑽できるものなのか、と疑問は残ります。
続いて、愛の実践の中では、謙虚と客観性、そして、理性の発達の必要性が述べられます。ここでは、人間の存在の条件として、自分自身の愛を信頼し、他者の中に愛を生ずる能力への信念を挙げています。う~む。全く実践できていない自分に気付かされます。
最後に著者は、我々の全社会的、及び経済的組織が、各人の利益の追求に基づいており、資本主義の原理と愛の原理は相容れないとの認識を示します。震災以降の日本では、著者の言う愛の実践を報道として目にすることがあります。人と人との絆が試される時には、愛による他者との合一人によって、困難を乗り切る術が残されている証左なのです。本書は、こんな現代だからこそ、心に響く書籍でした。
ただし、著者の述べる神への愛は、頭で理解はできても、いまいちピンとこないんですよねぇ。そこは、日本人ですから。