【本の感想】武長脩行 『「友だちいない」は“恥ずかしい”のか』
田舎から東京へ出てきた頃、一人で昼飯を食べていると、「おまえ友だちいないのか」と言われたことがあります。知り合いすら殆どいないので、当たり前なのだけれども、えらく居心地の悪い思いをしました。恥ずかしいのと、わざわざそれを確認しにくる無神経さに腹が立ったと記憶しています。友だちがいないという事実より、そう皆に見られていると認識してしまう方が、気持ちをヘコませます。
武長脩行 『「友だちいない」は”恥ずかしい”のか』のタイトルを見た時、そんな昔のことを想い出しました。
結論からいってしまうと、本書は、サブタイトルの”自己を取りもどす孤独力”に重点が置かれています。
孤独は、常にコミニュケーションを強制される社会、つまり超コミニュケーション社会にあって、本来の自分を発見し、これから打って出るための「陣地」として必要なのだと述べます。さらに、自己内対話が、コミニュケーション能力の源になっているとも説きます。孤独をポジティブにとらえ、孤独に打ち勝つのではなくて、人に頼らず生きていく力、自己回復し活力を取り戻す力として「孤独力」を養うべきだと主張するのです。
ごもっともではあるのですが、『「友だちいない」は”恥ずかしい”のか』、の解としてはピンときません。孤独は大事なんだよ、だから友だちはいなくても平気だよね、とはならないのです。要するに、「孤独な状態と、他人との共同性のバランスが大事で、良いコミニケーションには孤独が必要と肯定的にとらえなさい」というのが著者の主張です。
後半では、友だちは6人いればいい、とシックス・ディグリーズ理論(ケヴィン・ベーコン指数ですね)を持ちだしているのですが、ここにくると、孤独力で自己を研鑽し、お友だちを作りなさいと言っているように思えてきます。何といったって、孤独力は 不確実な未来を見据えた意思決定力、ストレスマネジメント、リスクマネジメントを養うことができる素晴らしいものだから(?)。
タイトルに偽りアリ!というわけではありませんが、付けるのであれば「孤独力」だよなぁと思います。
(本とか音楽とかを含め)言語世界に生きている以上、完全な孤絶状態はあり得ないなど、本書の主張の幾つかは納得がいくので心に留め置くことはできます。でも、無縁社会を取り上げつつ、最後は一人で死ぬのだから孤独死は寂しくない、というのはどうでしょうか。確かに本人の気持ちの持ちようでしょうが、周りの人々は割り切れません。本書は、著者の語り口調は柔らかくはあるものの、ズバスバと断定的な論述が特徴的なので、様々な異論反論でてきそうです。
ちなみに、自分は「友だちいない」は、もう恥ずかしい年代ではありません。むしろ、「友だちいっぱいます」の方が、信用できなくなってしまいました(びっくりするくらい誇りにする方いますよね)。自分の子供はというと、このあたりは上手くやっているようです。当時の自分よりも孤独力が勝っているのでしょう。いずれにせよ、理屈が分かっても、そのように行動できるかは人それぞれ。「孤独力」を十分に発揮できるには、サポートが必要なのかもしれません。
著者が引用した、アランの言葉が素敵なので紹介しましょう。
人はけっして孤独ではない。人はだれでも、もうひとりの自分をもっている。静かに、耳を傾けてみなさい。言葉をかけてみなさい。やがて、対話が生まれ、師とも友ともなって、あなたの人生を豊かなものにしてくれるはずだ。