【本の感想】朝吹真理子『きとこわ』

朝吹真理子『きとこわ』

2011年 第144回芥川賞受賞作。

最近、自分が子供の頃、雛人形があったかどうかで妹と議論になりました。じいさん、ばあさんと言ってもよい年子の兄妹ですが、今更ながら、ちょくちょくお互いの記憶に相違があることに気づきます。

朝吹真理子『きとこわ』の、 貴子と永遠子も同様です。

幼年時代のひと時を共に過ごした7歳違いの貴子と永遠子は、25年の歳月を経て再会します。本作品では、二人の間にたゆたう現実とも夢幻ともつかぬ時の流れが、美麗な言葉でつづられます。

表現し難いものを如何に表現するのかが純文学ならば、まさに本作品には、文学の真骨頂を見ることになるでしょう。ごく少ない頁数でありながら、細やかな表現をリフレインし、絵画的とも言える忘れがたいシーンを構築しています。

タイトルは 貴子(きこ)と永遠子(とわこ)二人の名前であり、彼女たちの曖昧に溶け合う記憶を表しているようです。

夏のひとときを母 春子、叔父 和雄と葉山の別荘で過ごす貴子。永遠子は管理人淑子の娘で、貴子の遊び相手です。印象的な描写は、8歳と15歳の二人の少女が車のシートで息づかいも絡み合うほどに縺れながら眠る様。永遠子の半睡状態からみた、とろりとした語感が良いのです。本作品の感想を書こうとしても、この感覚は上手く表すことはできません。これだけで著者と自分の圧倒的な表現力の違いを見せつけられた気がします。登場人物らの会話の途中に、唐突にアカデミックな内容を放り込んでくるのも好みです。

葉山の別荘を引き払うために、再会した貴子と永遠子。それぞれの視点で過去、現在が語られていきます。愛人としての生活が破綻し独り身となった貴子。25年前の貴子と同じ歳の娘がいる永遠子。二人は、近況を語り合いながら、過去の記憶の微妙なずれに小さな驚きを覚えます。

緩やかに流れる時間の中で、貴子の心中計画や、永遠子の母の不貞といった現実が顔を出します。曖昧さ(過去)から明確さ(現在)へ行ったり来たりと、ストーリーに抑揚がついていきます。二人それぞれが、別の場所で頭髪を引っ張られるという怪異に会うのですが、これは、貴子と永遠子を過去の夢幻の世界に閉じ込めようという所作なのでしょうか。読者としてはドキリとするシーンですが、自分はここに明らかな意味(作者の意図?)を見出すことができませんでした。

本作品は、文章による美的感覚に没入するには、ぴったりの一冊です。ただし、エンターテインメントを求めてしまうとハズしてしまうでしょう。

ちなみに、自分は、妹との議論は常に自分が言い負かされます。全然、美しくない・・・