【本の感想】S.J.ボルトン『三つの秘文字』

S.J.ボルトン『三つの秘文字』

元来、自分は、”誰も信じてくれない系”ミステリは苦手です。嫌いという意味ではありません。孤立無援であっても、頑張る主人公に感情移入してしまうと、読んでいる途中でいたたまれなくなるのです。S.J.ボルトン(S. J. Bolton)『三つの秘文字』(Scarifice)も、導入部分は、そんな予感がします。

シェットランドへ夫ダンカンとともに、越してきた産科医トーラ・ガスリー。トーラは、愛馬の墓を掘っている時に、死体を発見してしまいます。死体は、心臓を抜かれ、背中に3つのルーン文字が刻まれた女性。この異常性にも関わらず、捜査に関わる警察、医療機関、更には夫まで、事件を有耶無耶にしようとします。地方都市のコミュティという閉鎖空間。トーラは、ひとり真相究明に乗り出しすのでした。

この手のミステリでは、主人公の行動原理に説得力があるかが重要です。どうして事件を追い続けることができるのか。その点では、トーラのキャラクター設定は成功していると言えるでしょう。

最初の警察の取り調べで、トーラの気丈さが伺える一コマ。

わたしは口紅をつけないし、口紅の染みを見るのが大嫌いだ。その人の見てはならない部分を見せられたようで不快なのだ。口紅の染みを残して帰るのはゴミを残して帰るのと同じ。

一方で、産科医でありながら子供に恵まれないという葛藤や、

赤ん坊がこの世に生まれ出た瞬間、わたしは勝利の喜びと誇らしさと惨めさを同時に感じた

周囲との軋轢への苦悩を見ることができます。

わたしは人にやさしくなれない傾向がある。・・・いったいわたしの何が、人の目にそんなにつまらなく映るのだろう?

これらの感情が、綯い交ぜになって、事件に駆り立てられていく様子が巧みに描かれています。

どうにも、序盤は、居心地の悪い展開です。しかしながら、一転、”誰も信じてくれない系”ミステリは、トーラが、デーナ・タラク巡査部長というパートナーを得て”バディ=相棒”ものへと転じます。初対面でトーラが、殴っていても不思議ではなかったほど折り合いが悪かったデーナ。余所者として孤立する二人の女性が、信頼関係を構築していく過程は見所です。トーラの渇望を癒してくれるデーナという存在が、物語を最後まで引っ張っていくことになります。

二人が、捜査をすすめるうち、被害者は、2004年に癌で死亡した初産婦のものであることが判明します。しかし、同一人物であるはずの発見された死体は、2005年に死亡した経産婦でした。一人の人物が二度死亡しているということ、しかもその間、出産をしていることで、さらに謎は混迷を深めます。ここは”本格”ミステリの趣です。俄然、面白くなってきます。

展開の妙もさることながら、シェトランドの寒々としていながら美しい自然の描写や、入り組んだ人間関係が、作品の世界に彩りを添えています。自分が登場人物で魅力を感じたのは、トーラの上司 ケン・ギフォード。見るたびに目の色が変わって見える表情や、怜悧、誘惑、厳格、優しさが混然となった立ち振る舞いが良いのです。敵、見方どっちつかずの設定が、物語に緊張感を与えます。

生命の危険を感じながらも、3つのルーン文字が収穫、繁殖、生贄をあわわすことを突き止めたトーラ。事件の背景に不気味なものを察知します。ところが、次にトーラが目にしたものは、デーナが命を絶った姿。トーラは、悲しみを抱えたまま、デーナの恋人ヘレン・ローリー警部へ助力を求めるのでした。

ここにきて自分は、道に迷います。作者は、いったい、どこにつれていこうとしているのか。大いなる陰謀を前に、周囲からの更なるプレッシャーと、新たな孤立無援の状態。読者を混乱に陥れながら、物語は進みます・・・

本作品は、トーラとヘレンの活躍で、全編の2/3程度で一旦解決をみます。凡作といわれるミステリであれば、ここで辻褄をあわせて終わるでしょう。ところが、本作品は、ここからが違います。残りの100ページでの粘り腰。怒涛のたたみ込みをかけていきます。そうか、ここにつれてきたかったのか!不撓不屈。ラストにかけては、満身創痍 トーラの体当たり”冒険”もので締めくくります。

本作品は、ミステリの様々な要素をてんこ盛りにした作品です。少々(?)のご都合主義は目をつぶっても大いに楽しめるものとなっています。特に、女性読者には、勇気を与えてくれるんじゃないでしょうか。