【本の感想】山崎ナオコーラ『美しい距離』

山崎ナオコーラ『美しい距離』

自慢ではないのですが、今の今まで人間ドックへ行ったことがありません。会社の健康診断で、気になる数値は二つほどあるものの、目を瞑ってい今に至ります。今年の春先、下血して救急車を呼んだ時は、一巻の終わりを覚悟し、やり残したことをつらつら考えました。んんん、積読本が山のようにある・・・。孫の顔も見ていない・・・。生には執着していないと気付きますが、思い残すことが少ないのは寂しい限りです。結局、生まれて初めての大腸検査で異常は見つからず、加齢に伴うよくある憩室出血なるものでした(コロナ第一波の直前で、お医者さんにご迷惑かけずに済みました)。検査しなきゃなぁ、と思いつつ、やっぱり何もしておらず・・・

山崎ナオコーラ『美しい距離』は、がんで余命いくばくもない妻と、その妻の介助を行う夫の姿を描いた作品です。

保険会社に勤める夫は、元上司の同い年娘に見初められ結婚をしました。十五年の月日を重ねてきた二人には子供はなく、妻は、サンドイッチ屋を起業して、社会に参画をしていました。そんな妻が、がんを宣告され、死の時が迫っています。

本作品は、夫の視点で、命の火が消えつつある病床の妻を中心に、日々の出来事がつづられます。登場人物には、名前はありません(ラストに苗字は分かります)。読者の物語でもあるという意図とするなら、これは成功していると言えます。自分は、夫にすっかり感情移入してしまったのです。

夫は、病床を訪ねる時、「来たよ」、と妻に声をかけます。妻は、「来たか」と返事を返すのですが、このさり気なさを装ったぎこちないやり取りは、悲しみを前面に押し出していないだけにとてもリアルです。夫は、爪を切ってあげるなど、妻に対してして上げたいことを申し入れるのに、ちょっとした勇気がいります。夫と妻が、愛情を示し、かといって双方の気持ちに踏み込み過ぎない距離感がタイトルの意味なのでしょう。自分が、夫と同じ立場ならば、同じ行動をとるように思えます。

夫は、医師や介護保険の認定調査員のひと言に、イライラを募らせます。言葉を受け取る側の問題と分かっていながらも、心のざわめきを抑えられません。社会へ参画の希みが、途中で絶たれてしまう妻の無念さを、ひしひしと感じながら、夫はなす術がありません。

本作品は、夫の介護休暇の取得など、現実的な話題が多く含まれています。妻の死の瞬間は淡々と描れていて、それ以降の葬儀の手続きなど、押し寄せる現実が悲しみを噛みしめる余裕がないほどです。全てが終わり、骨壺に語りかける夫の言葉にはぐっとくるものがあります。

十五年間、身に余る楽しい生活を送れました。ありがとうございました。これから、周りにいる人たちを支えていけるよう頑張ります。いつか、そちらへ行きます。がんがいいな、と思っています。立派な終わり方でしたね。

やっぱり、人間ドックは受けなきゃいけないよなぁ。