【本の感想】重松清『十字架』

重松清『十字架』

2010年 第44回 吉川英治文学賞受賞作。

重松清『十字架』は、いじめ自殺をテーマとした作品です。

とは言え、本作品の主人公は、いじめの被害者でもなく、いじめの加害者でもありません。自死を選んだ被害者から、親友と名指しされた少年なのです。

フジシュンこと藤井俊介は、中学生の頃、同級生 三島、根本、堺からのいじめにあい自殺を遂げてしまいます。遺書に残されたのは、いじめの加害者への糾弾、そして、親友 ”僕” 真田裕への感謝の言葉と中川小百合への好意でした。しかし、裕はフジシュンとは友人と呼べる間柄でもなかったのです。

裕は、フジシュンの父春男、母澄子、弟健介から、恨みのこもった感情をぶつけられます。親友なら何故、見殺しにしたのかと。自分は、このシチュエーションは、思い描いていませんでした。故人から親友と呼ばれた者に、怒りの矛先が向いたのです。親、兄弟からしたら、確かに、そういう感情が湧くのは理解できます。

一方。フジシュンが好きだった小百合は、生前冷たくあしらったことに罪悪感を持っています。ところが、それを知らないフジシュンの両親は、小百合を慈しむようになるのです。

裕と小百合は、フジシュンの死に雁字搦めにされていきます。

裕があのひとと呼ぶフジシュンの父や、雑誌記者の田原は、裕の心を痛め付けるような態度や言葉を発します。ここは読んでいていたたまれなくなるでしょう。特に、田原の毒を含んだ物言いには、感情が高ぶってしまいます。甘んじて非難を浴びる裕は、いつしか小百合と運命共同体となり、フジシュンを偲ぶ体を続けざるを得ません。しかし、裕はいつまで経っても理解できずにいます。何故、フジシュンは、裕を親友と名指し十字架を背負わせたのか。

本作品は、裕が大人になり、父親となっていくまでの過程で、裕のフジシュンへの思い、フジシュンの家族の裕への思いがどう変化していくかがつづられていきます。藤井家に自分の感情をぶつけてしまった日、傷をなめ合うような付き合いを続けていた小百合との別れ・・・。裕と健介の心からの語らいには、ウルっときてしまいました。

小学生の息子の父となった34歳の裕は、フジシュンの気持ちが分かるようになります。そして、ラストは、定年後のあのひとと健介の旅先 ストックホルム『森の墓地』から裕に届いた手紙。そこは、フジシュンの憧れの場所だったのです。

本作品は、泣き所は多くありません。いじめの加害者じゃないのに、長く苦しみ過ぎだろうというのが、拭い去れなかったからなのかも。

2016年公開 小出恵介、木村文乃 出演 映画『十字架』はこちら。

2016年公開 小出恵介、木村文乃 出演 映画『十字架』
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