【本の感想】桂望実『手の中の天秤』

桂望実『手の中の天秤』は、様々な事件の加害者と被害者が、その後の人生においてどう折り合いを付けていくかを描いた作品です。

「執行猶予被害者・遺族預かり制度」が法制化されている日本。この制度は、執行猶予中の加害者の罪を被害者家族が確定できるというものです。

本作品は、大学講師 井川敬治が、授業において三十年前係官(公務員)であった自身の経験を振り返りながら、学生たちへ問題提起をしていくという流れです。著者の『平等ゲーム』も同様で、もしもの世界の中で、人々の心の内を浮き彫りのさせる試みは興味深くはあります(リンクをクリックいただけると感想のページへ移動します)。本作品の設定はユニークですが、難しいテーマを取り上げています。著者独特の軽さがあるからか、読み易くはあるのですが。

当時の井川の指導者は、今の井川と同じ歳の52歳 ベテラン岩崎進。井川がチャランとあだ名で揶揄するほどのチャランポランな性格です。事件の被害者の心情に寄り添おうとする井川に対し、チャランはあくまで事務的な態度で接します。チャランの被害者に対するおざなりな態度に、憤りを感じる井川。いくつかの事件の顛末を通して、この歳の離れたバディがどう変化していくかが、見所の一つです。

読者は、当初チャランの公務員然とした考えに違和感を抱くでしょう。しかし、いくつかの事例を目にすると、正しい態度というのが分からなくなります。哲学的な感慨をもたらせてくれるので、大学の講義の場という本作品の前提が効いていますね。とは言え、堅苦しさはなく、エンターテインメントとして楽しめる工夫もなされています。

生田潤一郎、真知子夫妻は、野球部の練習中に息子 玄を亡くし、コーチ 久保田が業務上過失致死で執行猶予被害者・遺族預かり制度にかけられています。チャランと井川の定期訪問の際に、久保田を許すことができないと語る真知子。被害者家族はバラバラになっているにもかかわらず、加害者家族は事件を契機に結束を強めているのです。このエピソードは、ずしりときます。

被害者に共感を覚える井川は、自動運転過失致死傷罪の事件で、遺族に不用意な発言をし、被害者が加害者を強請るという失敗を起こしてしまいます。ここで、何故、被害者と距離を取らねばならないかが、明らかになります。チャランの男気が良いですね。秘かにピアノの講師に恋をし、ピアノを習っているチャーミングな一面も垣間見れます。

失敗から、学びを得た井川。著者は、様々なケースを提示し、クライマックスにかけ”赦し”について、読者に問いかけます。これには答えは出ないので、考えること自体に意味があるのです。

ラストは、83歳となったチャランのピアノ発表会。井川にもちょっと出来過ぎサプライズがあって、ほっこりの締め括りです。テーマが重めでしたが、ハッピーな余韻があり記憶に残る作品です。

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