【本の感想】葉室麟『蜩ノ記』

葉室麟『蜩ノ記』

2011年 第146回 直木賞受賞作。

葉室麟『蜩(ひぐらし)ノ記』は、無実の罪で腹を切らればならぬ武士と、その周辺の者たちの三年間を描いた時代小説です。

本作品の設定から、主人公の死すべき運命が変えられないというのは、想像に難くありません。とすると、全編を通して、漢をどう見せてくれるのか、が注目すべきポイントです。武士としての最期の振る舞いを描いた作品はよく目にするので、著者はどうオリジナリティを持たせているのか、が感動するか否かの別れ路。結論から言うと、死を目前にしてなお漢の矜持を貫く主人公の姿には、悲哀は見られず、むしろ清々さを覚えました。

豊後国羽根藩 元郡奉行の戸田秋谷は、不義密通の上に小姓を斬った罪で、向山村に蟄居せしめられています。秋谷は、妻 織江、娘 薫、息子 郁太郎と四人で慎ましく暮らしながら、10年の期限付きで三浦家家譜編纂の役割を仰せつかっていました。残りの月日は3年。それは、秋谷の、切腹までの猶予期間でもあったのです。

ある日、祐筆 壇野庄三郎が、秋谷を訪ねてきます。庄三郎は、友人 水上信吾へ斬り合いの末に怪我を負わせた罰として、家老 中根兵右衛門の命により、家譜の清書を兼ね秋谷の監視の命を下されたのでした。庄三郎の意図を知りながら、寝食を共にすることとなった秋谷。庄三郎は、秋谷の雑記<蜩ノ記>に、赤裸々な思いがつづられていることに気付きます。

武士として恥ずべき行為をしたはずの秋谷。庄三郎は、秋谷とその妻子、秋谷を慕う村人たちと触れ合ううちに、秋谷が汚名を着せられているのでは、という疑問を抱きます。著者は、庄三郎が秋谷へ敬愛の情を持つに至る過程を追うことで、秋谷その人の人間性を際立たせていきます。

秋谷は、多くを語らずの典型的な漢です。庄三郎は、命のタイムリミットが刻々と迫る秋谷のことが、気が気ではありません。織江、秋谷を見守る長久寺 慶仙和尚、そして、不義密通の相手とされたお由(松吟尼)から話を聞き、遂に、庄三郎は、秋谷が無実だと確信するに至ります。何故、秋谷は、理不尽な処遇を甘んじて受けているのか。秋谷の忠義に対する考え方は、実に明快です。ただ、黙して語らず命を賭するのかというと、説得力はいまひとつ。論語「君君たり臣臣たり」の表れと見ればよいのでしょうか。

やがて、秋谷と庄三郎は、圧制に対する不穏な村の動き、そして藩の政争に巻き込まれていきます。強大な敵 兵右衛門が繰り出す様々な罠。いくつかの悲劇を経て、クライマックスは、とてもスリリングです。読者は、読み進めながら溜め込んだ怒りの感情がピークに達することでしょう。郁太郎と庄三郎の立ち回りのシーンでは、漢として逞しく成長した二人の姿にぐっときます。まだ少年である郁太郎の覚悟を、一人前の漢として認める秋谷の親心もしびれます。くわえて、本作品は、アツイ友情の物語でもありと、見所が多いのです。

ラストは、避けられない秋谷の死、そして、その後が描かれます。ややあっけななくはありますが、夫として父として友として、秋谷が高潔な漢であることを印象付けるには、これぐらいがよいのかもしれません。宿敵 兵右衛門の漏らす一言は、次の展開を期待したくなりますが・・・

本作品が原作の、2014年公開 役所広司、岡田准一、堀北真希 出演『蜩ノ記』はこちら。

2014年公開 役所広司、岡田准一、堀北真希 出演『蜩ノ記』