【本の感想】渋沢栄一『論語と算盤』

渋沢栄一『論語と算盤』

渋沢栄一『論語と算盤』は、次の一万円札の人となって、俄かに活況を呈した有難い(?)お言葉の数々が収められたものです。

ファイターズ栗山監督の座右の書としても有名です。渋沢栄一は、政界から経済界に身を転じ、日本の近代化に尽力した人物ですから、その精神論は、一読の価値はあります。

ただ、本書は、渋沢栄一の論考を一冊に編纂したもので、同じ主張が繰り返し論述されているし、文体に統一感がなく読み辛くはあります。

さらに、

余は相当なる知能の加うるに勉強をもってすれば、世人のいわゆる逆境などは、決して来たらぬものであると信ずるのである

といった、オレ天才!的な選民意識が、どうにも居心地を悪くさせます。

維新後、その当時の常識とは反し、官から民へ活躍の場を移した渋沢栄一。連綿と受け継がれた「仁をなせば富まず、富をなせば仁ならず」「武士は食わねど高楊枝」の武士道精神に、敢然を異を唱え、利殖が卑しいことではないと説きます。この思想は、相当とんがったものだったのでしょう。地位と名誉のある人物の言ゆえに、蔑ろにはできません。

ただ、この利益は道徳的であるのが大前提です。自分、自国の利益を優先させると社会は益々不健全になると断じています。

少なくとも、他国に甚だしく迷惑を与えない程度において自国の隆興を計る道がないものであるか。もし国民全体の希望によって、自我のみ主張することを止め、単に国内の道徳のみならず、国際間において真の王道を行うということを思ったならば、今日の惨害を免れしめることができようと信ずる

どこかの国の首脳のことですね。自国優先主義に戻ってしまった世界へ、渋沢栄一は、警句を発しているようです。

高校の頃、倫理社会の時間に聞いた憶えのある「智情意」。知恵と情愛と意志の、三つのバランスが重要であると述べています。経済活動をこの均衡から捉えたとすると、「情」の位置づけは難しくはあります。「俺が、俺が、じゃないだろう」と置き換えれば、分かり易いでしょうか。渋沢栄一は、迷信に陥ると基督、釈迦の奇跡に懐疑的でしたので、すべからくデジタルに物事を捉えるのかと思いきや、「情」というクッションを置いています。

本書を読んで、ビビっときた一文を紹介しましょう。

幸いに驕り災いに哀しむのが、凡庸人の常である

自分は、自他ともに認める絶対的凡人のようです・・・

一時の成敗は長い人生、価値の多い生涯における泡沫のごときものである

失敗してる最中は、愉しかった時が泡沫のように感じるよね?

偉き人と完き人とは大いに違う

偉き人は、変態である、とは大胆な言い回しです。人格に難ありとも卓越した能力の持ち主のことを指しています。一方、完き人は、常識人と定義しています。

すべての今の師弟の関係は乱れている

大正の頃からですか。とすると、これは永遠不変の真理です。

本書は、論語の渋沢栄一的解釈なので、論語そのものを知らないと盲目的に首肯するしかありません。ここは勇気を出して、論語を読んでみましょう(いずれ)。

キャッシュレス時代が加速して、お札を見なくなる世の中が到来しそうです。既成の概念からの脱却(レガシーからの脱却)が渋沢栄一の理念ならば、それはそれで合致しているのかも。