【本の感想】川内有緒 『バウルの歌を探しに バングラデシュの喧噪に紛れ込んだ彷徨の記録』
2014年 第33回 新田次郎文学賞受賞作。
自分は、ほとんど旅というものをしたことがありません。
乗り物が苦手というのが表向きの理由ですが、知らない土地に足を踏み入れると不安になって帰りたくなってしまうのです。日本国内でもこの状態なので、言葉の通じない外国へは、とてもじゃないが行けやしません。しかし、知らないところを旅するということへの憧れはあります。生来チキンの自分は、旅行記を読んで、こういう感情を満足するしかないのです。
『バウルを探して』の著者 川内有緒は、”バウルの歌”を聴きに、バックパッカーも立ち寄らないという国バングラディッシュへ旅立ちます。この行動力に克目せよ!自分にとってバングラディッシュは、地図上の図形でしかありません。バングラディッシュと自分で文字にしたのも初めてのような気がしてきます。著者の情熱は、自分に代わって、知らない世界の扉を開いてくれるのです。
本書では、著者が様々な人々と触れあいながら、バウルを理解していく過程がつづられていきます。
巨大な洗濯機の中でグルグルと揉まれている気分
著者は、ダッカの街並をこう活写します。本を読んで想像の旅をするには、こういう卑近なたとえが必要なのです。自分は、著者とともにバウルを求めて列車に乗り、カレーに辟易し、景色を愛でます。
著者を惹きつけたバウルの歌と何であるか。
バウルとは、哲学であるそうです。
メッカ巡礼や礼拝といった表面的な宗教儀礼は気にしない。そんなことよりも、ひたすら自分を見つめることに集中する。
「内面の旅」こその哲学の真髄。しかも、イスラム教にも、ヒンドゥー教にもとらわれない懐の広さがあります。歌は、その教えを巧みに隠しながら、伝承するための手段なのです。
数百年も受け継がれる自分探しの旅の歌。なんとロマンチックなことか!
バウルの歌というコンパスはゆるぎない一つの方角を指し示す。それは、迷いの雲を吹き飛ばしてしまう強烈な磁力。宗教のようであって、宗教ではない。歌であり、思想であり、根源的な自由を求めるエネルギーそのもの。だからこそ、現代の人々は余計にバウルに惹かれる。
バウルは、思想を実践するにあたって、特有の厳格性を持っているようです(詳細は、本書をご覧あれ!)。しかし、その表現の方法は、定式化されているわけではありません。こういう大らかさが、連綿とバウルが受け継がれた理由なのかもしれません。
著者の経歴を見ると、まず芯の強さを感じます。しかし、バウルの歌に惹かれ、バウルを探す著者には、迷いの中にあったのです。旅人は、「内面の旅」を旅に求めます。本読みは、「内面の旅」を読書に求めます。自分が、旅に畏怖とともに憧憬を感じるのは、こういう共感があるからなのでしょう。
本書で触れられているラビンドラナート・タゴール『ギタンジャリ』を読んで、「内面の旅」をしてみようかな。