【本の感想】北原亞以子『恋忘れ草』

北原亞以子『恋忘れ草』

1993年 第109回 直木賞受賞作。

北原亞以子『恋忘れ草』は、江戸時代(天保三年頃)の、職業婦人、現代で言うところのキャリアウーマンが主役の短編集です。それぞれの作品に、他の作品の登場人物がちらりと顔を出したりと、連作短編集の趣きもあります。

本作品集には、仕事に恋に生きる女性たちの逞しさが、活き活きと描かれています。時代小説であると、ちょっと距離を置きたくなる読者もいるでしょうが、本作品集の登場人物たちの価値観は、今の女性のそれと変わることがないので、読み進めながら彼女たちと一緒に落ち込んだり、ハッピーな気分を味わったりすることでしょう。読了時には、明日への活力を与えてくれる、爽やかな余韻を残してくれます。

■恋風
萩乃は、父 山本帯刀を六年前に亡くしてから、子供相手に手跡指南の稽古を付けています。 父の頃には七十人近くいた弟子たちも、今では二十七、八人。ある日、常盤屋手代 栄次郎が、萩乃へ弟子入りを志願します。栄次郎の歳の頃は、二十四、五。乗り気ではないものの、栄次郎の熱意に負けて渋々、受け入れるのでした。

二十七才の荻乃は、相思相愛の国学者 峰岸草胤との破局の過去があります。父の美談に隠された秘密を知り、疎遠になってしまったのです。

そんな荻乃に持ち込まれたのは、家主 太左衛門からの縁談。相手は、二十一才の倅がいる四十五の男やもめです。 断りを入れると太左衛門は激怒し、ほどなくして岡っ引きの五郎次から、五十両の恐喝を受けることになります・・・

恋に破れ仕事に生きる萩乃に、最大のピンチが訪れるのですが、さて、どう決着するのでしょう。恋風は、恋の予感という意味合いかな。

■男の八分
長谷川里香(香奈江)は、 戯作者からの草稿を、版下用に書き直す筆耕を生業としています。四年前、筆耕の内職が面白くないと夫 稜之助から離縁され、一人独立したのです。

そんな里香が目をとめたのが、戯作者 井口東夷。東夷は、作品を世に出す機会をやっと掴んだのです。しかし、他の作品との類似を指摘され、お蔵入りへと傾きます。東夷への連絡を付けられない里香は、迷いに迷った挙句、改竄に手を染めて・・・

プロフェッショナルとしてのプライドが高い東夷。里香の善意が、東夷のプライドを傷付けてしまうのは、想像に難くありません。さて、東夷は、これをどう受け止めるのでしょうか。

■後姿
おえんは、三才の頃、置き去りにされ娘浄瑠璃の師匠おまつの養女となりました。十七才となったおえんは、淡路屋長右衞門らの財力を後ろ盾に、 出世を目指します。

そんなおえんに熱心に声をかけてくるのは、田舎侍の石橋又十郎。しかし、おえんは、疎ましく思い邪険に扱い続けます。

より高みを望むおえん。しかし、屑と見なしていた妹弟子おふゆが、駿河屋の養子の嫁となることを知り、苦渋を舐めます。おえんより、おふゆは、出世してしまったのです・・・

本作品は、上昇志向の強いキャリアウーマンが、ふと躓きを感じたときと似ています。さて、おえんは、どのように気持ちを持ち直すのでしょうか。

■恋知らず
お紺は、三々屋で簪の意匠を生業としています。五年前に父と兄を亡くし、流行りの商品を売り出そうと奮闘中です。 そんなお紺に、六年前蝋燭問屋に婿入りした幼馴染 秀三郎が助言を与えます。

やがて、秀三郎の誘惑で、お紺は上の空になっていきます。しかし、それは、お紺の気持ちを惑わすための秀三郎の作為だったのです・・・

本作品には、才能に嫉妬する男の醜さが表されています。これまた、今の世と同じですね。お紺は、秀三郎の心根を知った時、どのような行動に出るでしょう。

■恋忘れ草
おいちこと、歌川芳花は、歌川国芳の弟子の絵師です。才能を認められたおいちは、江戸名所百景の制作を依頼されています。

名声を得つつあるおいちは、妻子もちの彫師 才次郎に言い寄られ、関係を持ってしまうのでした。才次郎は、過去に、おいちを捨てていたのです。つき合いを復活したおいちは、ある日、才次郎の所へ行き、そこで嫁と子に会ってしまうのでした・・・

いわゆる不倫話しですね。愛しい相手の妻子を目の当たりにして、ハタと目が覚めるという王道パターンです。

■萌えいずる時
料理屋「もえぎ」の女将 お梶の元へ 元夫「山水亭」の粂蔵が借金をしに訪れます。 お梶は、粂蔵が愛人を家に入れたことから耐え切れず家出して、ひとり「もえぎ」を立ち上げたのでした。

料理人 新七が出張って一旦は事を収めたのですが、粂蔵は、お梶が家に戻るという嘘を付き高利貸から金を借りていたのです。 「もえぎ」に乗り込んできた高利貸しが約束が違うと暴れ出し、これが打ちこわしに発展してしまい・・・

本短編集の中で、主人公の絶望を一番感じますね。盗みでクビにした女中家族との絡みも効いていて、ラストは心を動かされました。

こうあらすじを書いて見ると、逆境をバネに奮起する、まさにキャリアウーマンの鏡のような方々の物語なのだなぁ、と思いました。