【本の感想】筒井康隆『玄笑地帯』

本の感想 筒井康隆『玄笑地帯』

筒井康隆『玄笑地帯』は、新潮社の筒井康隆全集全24巻の月報を一冊にまとめたものです。24ヶ月、つまり2年間に渡って書かれたエッセイなのです。

表紙の麻雀卓を囲んでいる方々は、著者、阿佐田哲也(色川武大)、タモリ、山下洋輔です。本書は、1985年の発刊なので、タモリ以外は、ピンとこないかもしれませんね。

書く分量は決められていてタイトル部分を省き一回分は原稿用紙にして七枚と五行及び十二字。きっちりこれを守らねばならぬ。この間、改行はない。

ということで、山藤章二のイラストを挟んで、みっちりと縦横無尽、自由奔放、天衣無縫、天下御免に文章を書きつづっています。

テーマは、文学論、世評、創作ノート、ファンレターから、妄想までと広範です。思いつくまま、気の向くままという具合に、話題が発散気味に展開しています。

今や、文壇の重鎮たる風格が漂う著者だけれど、筒井康隆全集が刊行された昭和58年当時は、まだまだめいっぱい猛毒を撒き散らしていますね。『狂気の沙汰も金次第』から10年後になるのだけど、反骨精神健在なりというのが見て取れます。ファンとしては嬉しい限り。読みながら「けけけけけけー」と狂喜乱舞してしまうのです。

興味を惹かれた箇所を抜き出してみましょう。

(ノーベル賞について)

ノーベル賞を受賞したのは個人である。たまたまその個人が日本国籍を保有していたからというだけで何が日本の名誉なのだろうか。日本という国家がその人を育てた、などどいう言いかたもあるが、育てたのはその人の両親であり教育したのは学校の先生である。


(SFは文学たりえるかという”幼稚”な議論について)

書いていることを読者にもう少し深く考えてもらおうと要求する文体で書けば文学になるし、あなたは何も考えなくていいのですよ、面白がって読んでいればそれでいいのですよ、考えるのは作者のわたしの役なのですからねという顔をしながら、自分も考えたいという読者にだけは深く考えさせるように仕向ける文体で書けばエンターテイメントになる。


(自分の作品の難解さについて)

常に表現したいことを完全に表現できないという歯がゆさがあり完全に表現しようとして永遠の努力をしなければならないのが作家なのである。


(開高健のSF評について)

よく知らないのだがと前置きして論じるならともかく、ワインを四本も飲み、言語不明瞭という状態で講義調に論じるなど言語道断歩行者横断、愚者の速断阿呆の独断、ろくなことにならない。


(禁煙について)

文章にまとまりがなく散漫であり、文章そのものはやたらわかりやすいかわりにやたらありきたりの結論を並べ立てて、どう考えても自分の書きたいことだけを楽しんで書いているとは思えないような文章にお眼にかかったら、その書き手は十中八九喫煙者ではない。

引用してみると、このエッセイの”書く分量は決められていて”、と言うのがよく分かります。

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