【本の感想】坂口安吾『阿部定さんの印象』

本の感想 坂口安吾『阿部定さんの印象』

阿部サダヲの出演するドラマなり、映画なりを観ると必ず脳裏をよぎる阿部定。大島渚 監督『愛のコリーダ』が公開された 頃は、中学生だったから当然見てはいないのだけれど、阿部定事件を知るに至って衝撃を覚えた記憶があります。

愛人を殺害し、性器を切り取って持ち歩く女という扇情的かつグロデスクな阿部定の印象は、映画を(見たいのに)見ていないだけに、妄想に近くなっているようです。自分が読んだ幾つかの書籍が、どちらかというと猟奇的な部分に焦点を当てたものだったからなのかもしれません。

坂口安吾『阿部定さんの印象』は、自分のそんな見方が偏見であったことを知らしめるエッセイです。

著者の阿部定のファーストインプレッションは、

一ばん平凡な下町育ちの女といふ感じであった。・・・中略・・・ 天性、人みしりせず、気立てのよい、明るい人だったのだらうと思ふ。

ということです。

どうしてもこういう事件では、何故、愛人を殺害し、何故、性器を持ち去ったのかに興味が惹かれてしまいます。

著者は、阿部定の愛人 石田吉蔵にいくぶんマゾヒズムの傾向があったと見て、

いつも首をしめられ、その苦悶の中で恋の陶酔を見てゐる吉さんだから、お定さんも死んだことに相違なく、もとより、気づいて後も、殺したといふ罪悪感は殆どなかつたのが当然である。

さういふ愛情の激越な感動の果てに、世界もいらない、ただ二人だけ、そのアゲク、男の一物を切りとって胸にだいて出た、外見は奇妙のようでも、極めて当りまへ、同感、同情すべき点が多々あるではないか。

としています。

なるほど、二人の密室での”遊び”の末ということならば、この事件の見え方が随分違ってきますね。

加えて、著者は、戦争熱のハケ口としてマスコミ報道が扇情的になったと述べています。

まったく当時は、お定さんの事件でもなければやりきれないような、圧しつぶされたファショ入門時代であった。お定さんも亦、ファッショ時代のおかげで反動的に扇情的に騒ぎたてられすぎたギセイ者であったかも知れない。

愛し合う男女のちょっとした行き過ぎの死が、時代の波に揉まれて大きく取り上げられすぎたということです。

本エッセイは、1936年の事件発生から10年後に書かれたもののようです(発表年は1947年になっています)。10年たって、再び騒がれているらしく、

人々がそこに何か一種の救いを感じてゐるからだと私は思ふ。 ・・・中略・・・ ただのエログロではダメで、やつぱり救ひがあるから、その救ひを見てゐるから、騒ぎたつやうな、バランスのとれたところがあるのだらうと思ふ。

と著者は言います。

刑期を務めた後、警察が許可した変名を捨て、本名で生きていく阿部定。自身の行為に決して恥じ入ることがありません。一点の曇りもない愛を捧げることができるロマンチックな女性だったのでしょう。

著者の結びの言葉が素敵です。

・・・お定さんの場合は、更により深くより悲しく、いたましい純情一途な悲恋であり、やがてそのほのぼのとしたあたたかさは人々の救ひとなつて永遠の語り草となるであらう。恋する人々に幸あれ。

うむむ。今更ながら、『愛のコリーダ』を見たくなってしまいました。

1976年 公開 松田英子、藤竜也 出演『愛のコリーダ』はこちら。ちなみに18禁です。

1976年 公開 松田英子、藤竜也 出演『愛のコリーダ』はこちら。ちなみに18禁です。