【本の感想】市川伸一『考えることの科学 推論の認知心理学への招待 』
ものごとを決める場面で、じっくり考えたら結果上手くいかず、直感的な方が当たっていたといことがないでしょうか。
これはかなりダメージが大きいですね。上手くいかなかったという結果に、思考に費やした時間的なロスや、悔悟の念という精神的な苦痛が加わってしまうからなのです。もっとも、自分のじっくりとは、苦手な確率や統計をもとにしているのではなくて、定性的な情報の積み重ねからきているのだけれど。
自分らの上の世代の人は、よく「最後は、KKD」なんてことをいっていました。勘(Kan)と経験(Keiken)と度胸(Dokyou)です。これで、上手くいっているんで大したものなのですが、実際は思考が成功への道筋をきちんと示しているのかもしれませんね。
最近の自分は、ちょっとした判断ミスが多いので、市川伸一『考えることの科学 推論の認知心理学への招待』を手に取ってみました。
本書のメインテーマは、人間の推論について、心理学的な立場から眺めてみることです。認知心理学や社会心理学の推論研究に基づいているので、確率論や統計学が苦手でも本書の内容は理解できるでしょう。ただし、人間の推論の錯誤を明らかにするため、数理的な話はところどころ顔を出します。
本書は、論理的推論、確率的推論、日常における推論の三部構成になっています。
第一部では、人間は論理的に推論するかをテーマに、論理的推論の認知モデルや帰納的推論を取り上げ、心理的なプロセスを明らかにしていきます。提示される思考実験や試案の結果から、人間は、常に ~ならば~である といった形式的な論理に沿った思考ではなく、その時々の文脈に応じて答えを出そうとしているのがわります。
第二部では、確率的な世界の推論をテーマに、不確定な事象に対する確率的な行動の決定に目を向けています。いくつかの例を引き合いに出しながら、確率や統計的な答えと乖離してしまう人間の心理的な現象を解説していくのです。人間の確率的な推論の錯誤を明らかにするため、標本、相関、回帰、ペイズの定理という数理的な話が続きます。ただ、これは自分の文系脳を悩ませるほど高度ではありません。例えば、「大リーグで新人王をとった選手は二年目には成績が悪くなることが多いのはなぜか」は、プレッシャーなどの非統計的な要因ではなく、回帰効果で説明できたりします。味も素っ気もなくなってしまうのだけれど、納得性は高いでしょう。人間の直感的な確率判断のバイアスやヒューリスティックスへの言及を見ると、認知心理学と行動経済学との深いつながりが読み取れます。
第二部では、直感的な推論を否定しているわけではありません。
理論と直感をお互いチェックしながら、私たちの推論をより確かなものにしていこうというのは、私には非常に健全な進み方だと思える
と著者はいいます。
第三部では、日常的におこなっている推論のありかたを心理学的な視点で眺めています。知覚、会話や文章、記憶、問題解決におけるといった知識に誘導される推論や、因果関係の推論について論を進めていきます。二人の人間に知識や期待による推論の結果が異なると「言った、言わない」の可能性がある等、身の回りの出来事を中心に解説がなされるので、第三部が一番わかりやすいでしょう。「こうあってほしい」という期待や他者への同調などの自己を守る欲求がバイアスとなり、推論を歪めるといいます。言われてみれば確かにそうですが、そうとわかっていても修正していくことは難しいですね。
私は人間の日常的な推論には、認知的な制約や感情的な要因がはいってきて、合理的とはいえない面がたくさんあると思う。 ・・・(中略) ・・・ だからこそ、人間の推論のもつネガティブな面をそれとして認め、その姿を明らかにしようとする研究は、事態の改善の第一歩になる。 ・・・ (中略) ・・・ 人間は自らの認知の両面を直視して改善していくことのできる存在であると考えることこそ、人間の合理性への信頼なのではないだろうか。
本書の結びの言葉ですが、読み返すとまた違った気づきを与えてくれそうです。折々、再読したい一冊です。