【本の感想】クリスチアナ・ブランド『領主館の花嫁たち』

クリスチアナ・ブランド『領主館の花嫁たち』

男と女の真実の愛とは何かと問われると、見返りを求めない愛というのが模範回答でしょうか。見返りを求める愛は、望みが叶わない時に、容易に憎しみに変質してしまいます。愛が深ければ深いほど、それに比例して憎しみは大きくなるのです。男と女の無償の愛は得難いものです。幻想と言ってもよいでしょう。多くの男と女は、真実の愛という大いなる勘違いのもと、愛と憎しみという二面性を抱えながら共に生きています。

クリスチアナ・ブランド(Christianna Brand)の遺作『領主館の花嫁たち』(The Brides of Aberdar)(1982年)は、愛を失い憎しみに囚われた人々の叫びが描かれています。

舞台は、1840年の英国 400年の歴史を持つアバタールの荘園屋敷。領主ヒルボーン家の美しい双子の姉妹 クリスティーンとリネスの家庭教師として、アリス・ティターマン(テティ)が赴任してくるところから物語は始まります。

ヒルボーン家は、不幸な死に付きまとわれた家系です。250年前に起きた悲劇から、領主の妻たちは、代々精神に異常をきたしてこの世を去っていました。テティが赴任した頃も、領主エドワードの妻が狂気のうちに亡くなっており、エドワード自身も激しく衰弱しています。この呪われた血脈の謎が本作品の中核なのですが、著者は、少しづつタネ明かしをし、新たな謎を重ねながらストーリーに厚みを持たせていきます。

テティは、その凛とした立ち居振る舞いで、赴任早々からヒルボーン家の人々や使用人たちに一目置かれるようになります。しかし、ひとりヒルボーン家の領地管理人でエドワードの義理の弟ジェームスは、テティにこう告げます。

いつかあなたはぼくらを裏切るだろう。そして、一人残らず破滅させることになるはずだ

と。

もうこれだけで、拙速に先が読みたくなってしまいますが、ここは我慢です。プラモデルを組み立てるように、じっくりと作品の世界を味わった方が良いでしょう。ディケンズやブロンテ姉妹の作品が好きなら、著者の描くヴィクトリア朝の醸し出す雰囲気を堪能することができます。ばら撒かれた謎を丹念に拾い集めていくと、終盤での感慨は一入なはずです。

ヒルボーン家の人々は、何者かによってアバタール屋敷につなぎ止められています。見えざる冷たい手に触れられ、魂を揺さぶられる彼らには、陰鬱な未来しか待っていません。余命いくばくもないエドワードは、血脈を断絶するために、テティにひとつ提案を持ちかけるのでした・・・ と続きます。

このエドワードの申し出が、複雑に絡み合った愛憎劇を形成する端緒となります。テティの、愛を失い変節していく様が痛々しくもありながら、憎しみに駆られた理不尽な振る舞いに怒りを覚えることもしばしばです。やがて、アバタール屋敷の愛と憎しみの罠は、長じたクリスティーンとリネスに触手を伸ばしていきます。ヒルボーン家の人々は、果たしてこの罠から抜け出すことができるのでしょうか。

本作品は、英国らしいゴーストストーリーの体裁を取りながら、人の奥底に潜む憎しみの発露を描いています。ゴーストストーリーとしては恐ろしくも何ともありませんが、見返りを求める愛があっけなく憎しみに陥る人間の性(さが)に寒々とするでしょう。物語が終わった後に一抹の寂しさが残るのは、決して解決することのない愛と憎しみの二面性を改めて思い知らされたからなのかもしれません。

テティの頬には、醜い傷痕が刻まれています。テティの変節にともなって傷が薄れていくのは、これが無償の愛の証であったのだと思い至りました。本作品には、そういう深読みをさせてくれる楽しみもあります。