【本の感想】冲方丁『光圀伝』

冲方丁『光圀伝』

2012年 第三回 山田風太郎賞受賞作。

冲方丁『光圀伝』は、徳川御三家の二代目藩主 水戸光國の生涯を描いた作品です。

テレビドラマはさて置いて、光圀の事跡として思い浮かぶのは、大日本史という歴史書の修史事業を開始したことではないでしょうか。本作品では、武断政治から文治政治へのターニング・ポイントを歴史的な背景として、光圀がどのように人間的な成長を遂げていったのか、に着目しています。青春小説であり、成長小説でもあるのですが、儒教思想に触れることのできる教養小説の側面も持ち合わせています。

物語は、光圀が、ある男を刺殺するシーンから始まります。この時、光圀齢67歳。冒頭から、”何故”という、謎が投げかけられるのですが、答えは物語の最後まで分かりません。そこから、7歳の光圀が、生首を引きずって歩く、衝撃的なシーンに切り替わります。幼くして剛毅、苛烈な光圀の生涯の物語が幕を開けます。

幼少の頃から光圀が抱いていたのは、父 頼房、兄 竹丸(後の頼重)への反骨精神です。兄を差し置いて、世子となった光圀は、父 頼房から試される日々を送ります。「なんで、おれなんだ」と自問する光圀。兄への複雑な敵愾心に苛まれます。この、「なんで、おれなんだ」が、本作品の通底音として流れており、光圀の儒教精神である大義を形作っていくのです。

粗暴な少年時代の光圀は、間違いを犯しては煩悶し、時には悔悟の念に苛まれます。その時々に、手を差し伸べてくれる人々のおかげで、光圀は人間としての更なる一歩を踏み出していくことになります。

がんばれ、子龍

がんばれ、世子どの

この励ましの言葉を目にする度に、自分は、胸を突かれてしまいます。特に、兄 頼重との心の触れ合いは、自分にとっての泣き所をいたく刺激されてしまいました。

青年光圀は、詩歌に目覚め、文事の世界で天下を取ろうと決意します。良き理解者である最愛の妻、頑固で偏屈な友、自分を導いてくれる師、不器用な愛情を注いてくれた父。様々な出会いと、突然の別れを通して、光圀は人間的な成長を遂げていきます。歴史という変えられない事実を前にして、自分は、頁を繰る手を止めざるを得ません。魅力的な登場人物たちに、別れを告げることが辛くなってしまうのです。

物語は、藩主となった光圀の事業、光圀の大義のあり方、そしてクライマックスである冒頭の謎へと進んでいきます。人を育て、文化を育てることに腐心する光圀。辛い別れがあってこそ、人々の生きた証を書物として残すべきと考えたわけですね。老成したとしても、様々な苦難を跳ね返しながら、信念を貫いていく剛毅さは、幼い頃から相変わらず。男として憧れる素晴らしい光圀の人生。自分は、堪らなく羨ましい気持ちになるのです。

著者のアツイ気持ちが伝わってくる本作品は、ボリュームがあっても決して飽きさせることはありません。再読に値する作品です。折々に精読すると、自分を見つめ直すきっかけが掴めるのではないでしょうか。自分にとって、とても大切な作品になりました。

なお、本作品には、宮本武蔵や、『天地明察』の安井算哲が、ゲスト出演のように登場します。これもまた楽しいですね。

本作品が原作の、三宅乱丈 画 漫画『光圀伝』はこちら。

三宅乱丈 画 漫画『光圀伝』