【本の感想】楊逸『時が滲む朝』
2008年 第139回 芥川賞受賞作。
近頃の香港の沸騰状態を見るにつけ、天安門事件を思い起こします。当時も今も、正義感より恐怖を強く覚えるのは同じ。なので、評論家的な言説には少なからず抵抗を感じます。
楊逸『時が滲む朝』の舞台は、1988年の中国です。
10人に1人の難関を突破し、秦漢大学に入学した高校の同級生 梁浩遠と謝志強。家族の期待を背負い、希望の燃える二人でしたが、やがて時代の風潮が彼らを飲み込んでいきます・・・
天安門の悲劇を頂点とし民主化に揺れた中国。貧しい農村地帯からエリートへの道を進むべく大学に進学した青年たちの熱狂、そしてその後の現実が描かれています。浩遠も志強も、信念というには幼すぎる情熱に動かされ、これまで目指してきた道を逸れてしまうのでした。流されたという表現が正しいでしょうか。燃えたぎる運動の核の周辺に存在する人々とは、そういうもなのかもしれません。
学問だけに専心してきた若者が、新しい世界に触れ、道に迷い始める様がよく表れています。自らの口から迸る言葉は、誰かの思想の受け売りなのです。
集会、デモ行進、座り込み、ハンスト。学生たちは民主化一色に染まり、一体感を醸成していきます。そこには酒に酔ったような、お祭り気分が漂っています。報道でしか知らなかった80年代 中国の民主化の側面です。
運動に対して冷やかな一般市民と悶着を起こし、退学処分となった志強と浩遠。
そして、月日は流れ・・・
妻を娶り日本で暮らす浩遠は、十年経っても当時の思いがくすぶり続けています。中国でデザイナーとして活躍する志強、そして恩師らとの再会。心に秘めたものを、あからさまに口に出すことはありません。何かを諦め、今を生きていかなければならない人々。
大人になるということの現実が、寂しさを伴って響く一冊です。
現在の香港の人々も、ひょっとしてと思ったりします。そういえば、自分らのちょっと上の世代は、学生運動真っ盛り。当時の事を先輩らに聞くと、多くは「流行だったから」と言ってたっけな。