【本の感想】加藤周一『読書術』

加藤周一『読書術』

たまに、他の人がどのように本を読んでいのるか気になることがあります。そんな時は、〇〇読書法といったノウハウ本を、つらつらと眺めてみたりするわけです。結局のところ、方法論がピッタリ当てはまらないのが、読書という趣味なのだな!と再認識してしまうのが常なのですが。

知の巨人(といわれる)加藤周一『読書術』は、読書へ取り組む姿勢が、シチュエーション別に述べられています。著者の経験からベストな方法論をまとめた実践的な内容であり、納得性が高く、どれどれ試してみようか、という気になる本です。

Ⅰ章は、「どこで読むか」
読書の効率が上がるのは、という論点で、机は不要と主張しています。自分も机では本を読まないので(仕事場は除きます)、まぁ、同意です。読み終えたいのだけど眠い!って時は立って読むこともありますからね。

Ⅱ章は、「どう読むか、その技術」
おそく読む「精読術」:古典をじっくり読みなさいという教え(!)です。「日本を理解するために、論語と仏教の経典、日本の古典文学のいくつか、また、西洋を理解するために聖書とプラトンを、できるだけおそく読む」ことが、「読書百遍」の祖先の知恵を今日に生かす道にも通じると著者は述べます。そして、それは「思想史を理解するうえで、ではなく、岐路にたっているとかの場合に道をひらくきっかけ、になるのだ」と主張するのです。人生の教科書的な意味合いですが、自分にとっては「急がば回れ」をしている時間的余裕がなさそうです。若い頃に実践すべきでしょうが、その頃は、どうしても古典を読みたくないからなぁ・・・。

はやく読む「速読術」:眼球の動き等の身体的なもの、とばし読みの秘訣等、速読のテクニックに触れています。著者は、現代文学は速読すべしとし、現代文学を読みあさって、いくらか飽きたときに、古典文学の興味が湧くと主張しています。速さを尊ぶことは時間の経済だけではなく、作品の本質を理解するために必要なのだとか。同時に多読は、自分の読書スタイルですが、古典文学に興味が湧くかというとハテナ?です。一冊の本から次々に関連する本を手に取るという、寄り道はかなり多いのですがね。

本を読まない「読書術」:書評欄を読んで耳学問(ただしダイジェストは要注意)、相手から引き出す、読んだふりは大切、という少々、胡散臭い主張です。”私はどうせバカ”=「ドーセバカイズム」で、とまるな!というのが著者の述べたい本質なんですね。一人の作家と長く付き合うと、共に成長を確認できるという件(くだり)は、なるほどと納得です。ただ、ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』の主張の方が、自分にはしっくりきます。(リンクをクリックいただけると感想のページに移動します

外国語の本を読む「解読術」:語学的にやさしいのは学問・技術に関する専門のものだと述べています。原則、必要な本はやさしいのだそうです。そもそも外国語の本を読了したことがないのですが、専門書は難しいと思い込んでいた自分にとっては、目からウロコです。「古典を読むのは、その時代や文化や個性と対決すること」、「文学は自然科学と違って、次の時代に吸収されない」という件も、またまた、納得です。

新聞・雑誌を読む「看破術」:立場が違うと報道が違うこと、真実を見抜くことが重要という主張です。この点は、国内外の報道の在り方を含め、多くの方がご存知でしょう。

むずかしい本を読む「読破術」:むずかしい本とは、著者にとって悪い本か、不必要な本であると主張します。「必要な本はむずかしくない」「作者と読者の経験の同じ質の共有がなければ、徹底的な理解はない」「読書生活の中で言葉は大工道具のようなもの」という境地にいる著者ならではです。ただ、経験的に積み上げたものがないと、全てむずかしい本=不要な本になってしまいますね。

本書で紹介されている様々なテクニックを駆使して、本を自身の血肉としなきゃいけないということでしょう。

本書は、口述筆記ということで抵抗はあったのですが、う~ん、早く読めば良かった・・・。読書法・読書論としては、一度は目を通しておくべきものです。

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