【本の感想】青山七恵『ひとり日和』
2006年 第136 回 芥川賞受賞作。
もう随分前に亡くなってしまいましたが、母方の祖母は凛とした人でした。
若い頃に旦那を亡くし、戦後のごたごたの中、女手ひとつで三姉妹(つまり自分の母と伯母さんたち)を育て上げたのだから、肝の据わり方が違います。今でも、泰然としてテレビを見ている姿が思い浮かびます。自分と祖母の間には、殆ど会話らしいものがなかったのですが、いつも気にかけてくれていることは感じていました。祖母なりに可愛がっていたのだと思います。
自分が、小学生の頃、祖母にたま~にイジワルをしました。なんだか無性に、きちんとした人の困った顔が見たくなったのです。でも、何も言わず不思議そうな顔をする祖母を見るたびに、自分はひどく後悔してしまうのでした。
青山七恵『ひとり日和』の主人公 知寿も、一緒に住んでいる71歳の吟子さんに、ちくりとイジワルをします。
知寿は、東京で暮らすため、一人暮らしの親戚 吟子さんの家で共同生活をしています。母といい、恋人といい、どうも知寿とは関係がしっくりいっていません。吟子さんは、そういう知寿の心の動きを察知しながらも、ある程度、距離をおいていて踏み込んできません。そんな大人の対応に、知寿は、些細なことで嫌味のひとつも言いたくなるのでしょう。(さらりと流されて知寿の言葉は宙に浮いてしまうのですが)
迷いの中にいる人が、いろいろなことを乗り越えてしまった人に感じる嫉妬のようなものです。自身と同じレベルまで引きずりこんでしまおうという、ヒネた願望でしょうか。自分が祖母にイジワルをしたくなったのも、手の届かない祖母の人生へ、闇雲に抵抗を示していたのかもしれません。
「吟子さん。外の世界って、厳しいんだろうね。あたしなんか、すぐ落ちこぼれちゃうんだろうね」
「世界に外も中もないのよ。この世はひとつしかないでしょ」
自分は、知寿と一緒に、ぐうの音も出ません。
それにしても、知寿は20という年齢からすると未熟すぎる女性です。手くせが悪いと表現されていますが、知寿は、関わりのある人のつまらないものを盗む癖があります。盗癖は知寿の孤独を癒す行為であり、盗品はその人との絆なのでしょう。
本作品では、盗癖を引きづり続ける知寿の心の奥底を窺い知ることができません。表現としては面白いのですが、児戯に等しい寂しがり方が、尋常ではなく映ってしまうのです。知寿は、”ひとり”を受け入れるため盗品と決別します、盗癖はストーリーをここへもってくるための意図がありありです。
本作品は、文章は洗練されているし、読んでいて退屈することはありません。文学賞狙いならば優等生と言えるのだろうなぁ。
残念なところがひとつ。それは、恋人の部屋を訪ねたら、下着姿の女がいましたという別離を決定づけるシチュエーションです。あまりに使い古されて、擦り切れてると思うのだけど、芥川賞では許されちゃうのでしょうか。(2006年の作品なのにぃ)
収録されている「出発」は、会社を辞めることを言い出せずにいる男が、ふと、地に足をつけることの大切さに気づくという作品です。う~む。こちらも未熟な男が ・・・
ちなみに、
自分の祖母が亡くなったのは大学生の頃。ずっと顔を合わせていなかったのですが、祖母の安らかな顔を見て、気がついたら両親がひくぐらい大泣きしていました。自分にとっては、やっぱり偉大な人だったのです。と、本作品を読んで過去を振り返った次第。