【本の感想】石川達三『蒼氓(そうぼう)』

石川達三『蒼氓』

1935年 第1回 芥川賞受賞作。

第1回の芥川賞は、川端康成と太宰治の選考にまつわる悶着が有名です。その時の、記念すべき受賞作が石川達三『蒼氓(そうぼう)』

文学賞好きの自分としては、スキャンダラスな部分を垣間見たいというスケベ根性も加わって、必読本なのです(なお、蒼氓は人民の意味で、自分のように蒼茫と勘違いしていると、作品の内容とのギャップに戸惑うので注意されたし!)。

『蒼氓』は、同時収録の『南海航路』『声無き民』を含めて三部作を構成しており、国策としてブラジル移民が奨励されていた1930年が、物語りの時代背景です。『蒼氓』はブラジル移民たちの出航前夜を、『南海航路』は船中の情景を、『声無き民』はブラジル到着後を描いています。

当時のブラジル移民は、貧農といわれる人々が主で、ブラジルでの豊かな暮らしを夢見ています。なけなしの田畑を売り、縋るように移民の将来に賭ける姿が『蒼氓』では活写されていきます。九百余名の移民たちは、神戸の海外移民収容所で共同生活を営み、準備を進めるのですが、戻る場所を失った彼らの後悔、希望、焦燥、不安が人いきれの中で渦巻きます。

独身者が渡航できないために家族を偽装する者がいる。ブラジル入国を禁止されているトラホームや脚気を隠す者がいる。息も絶え絶えの赤子を抱える者がいる。審査失格となり失意のもとに収容所を後にする者がいる。形振りかまわずとはこの事ですが、何より移民たちの痛々しくもある無知蒙昧さが際立ちます。

著者自身が、監督官としてブラジルへ渡航した経験があるからこそ、本作品は、真に迫っているのでしょう。

本作品は、誰か特定の人物を主役に据えてはいないのですが、弟のため恋人と別れて偽装結婚をし、流されるまま移民となった佐藤夏にスポットが当たっています。ある夜、佐藤夏は、移民監督助手から陵辱を受けてしまいます。しかし、佐藤夏は、これさえも甘受してしまうのです。このイノセントとも言うべき精神は、受難の人として、ブラジル移民そのものを象徴しているように思えます。

移民たちが、45日に及ぶ苦難の航海を経て(『南海航路』)、新天地ブラジルで見出したものは何か(『声無き民』)。自分は、この三部作を通して、”諦念”という語を連想しました。決して明るい未来があるわけではない。しかし、その中でも人生を見出していく術はあるのです。

ラストの、ブラジルの風景に溶けていくような佐藤夏の姿には、希望を拭い去ったがゆえの芯の強さを見ることができます。

太宰治の芥川賞候補作『逆行』『道化の華』について、川端康成は、「作者、目下の生活に厭な雲あり」と私生活を評したそうです。両作品とも、鬱々と暗澹とした中に、ギラギラしたナイフのようなものが垣間見える作品です。自分が若い頃であれば、太宰治の両作品に心を動かされたかもしれません。でも、今となっては、川端康成の気持ちが分かるんだよね。